EXECUTIVE BLOG
2025.2.28
高光産業株式会社
妹尾八郎。
昨日までは 福沢諭吉の学問のススメ の話しでした。
今日からは 一昨日が 二・二六事件の日でしたので、 その話に進もうかと思いましたが、
福沢諭吉と言えば もう一方の 大隈重信の話しもしなければならないと思い
今日は この二人についての話になります。
明治維新の立役者の一人である大隈重信は政治家として活躍しましたが、
福沢諭吉は政治の道を選ばず、教育や言論活動に力を注ぎました。
なぜ二人の進んだ道は違ったのかに 興味が湧きますね、、、、。
大隈重信は、
早くから政治に関心を持ち、幕末には佐賀藩の藩政改革に関わっていました。明治維新後は政府の要職に就き、西洋的な近代国家を作るための改革を推進しました。
彼にとって、政治は社会を変える最も直接的な手段だったのです。
政府の中にいれば、法律や制度を変え、大きな影響力を持つことができます。
だからこそ、大隈は政治の道を選んだのだそうです。
一方で福沢諭吉は、
「国が発展するためには、国民一人ひとりが自立することが大切だ」と考えていました。
政治を変えるだけではなく、人々の考え方が変わらなければ、
本当の近代化は達成できないと信じていたのです。
彼は西洋を視察し、
「政府の力だけではなく、民間の力が強いことが欧米の発展のカギだ」と実感しました。
そのため、自ら学問を広めることに専念し、
慶應義塾を創設したり、『学問のすゝめ』を執筆したりして、
多くの人々に影響を与えたのでした。
大隈は政府の中に入り、制度を改革することで社会を変えようとしました。
福沢は政治には深入りせず、独立した立場から国民を啓蒙し、
教育を通じて社会を変えようとしたのです。
福沢は「政治に関わると権力争いや汚職に巻き込まれる」と考え、
政府とは一定の距離を保っていました。
そのため、
彼の影響力は政治家としてではなく、教育者・思想家として発揮されたのです。
大隈重信と福沢諭吉の目標は共通していました。
それは「日本を近代化すること」だったのです。
ただそのアプローチが違っていただけなのです。
大隈は政治の力で改革を進めようと考え、
福沢は教育を通じて人々の意識を変えようとしたと言う事です。
この違いが、二人の人生を大きく分けることになり、
政治家として近代日本を築いた大隈と、教育者として国民の意識を変えた福沢になったのです。
どちらも日本の近代化に欠かせない存在だったことは間違いありませんね。
やはり この二人を比べると
あちらも気になりますね、、、、
その話しは?????
明日に続く、、、。