EXECUTIVE BLOG
2025.1.18
高光産業株式会社 妹尾八郎です。
昨日からの続きです。
昨日までは 十日恵比寿を大阪では戎と書くのか??の
話しから 戎には欠かせない 福笹の話しでした。
で 今日は 福岡のあの神社の話に進む予定でしたが
十日恵比寿から随分経ちましたが
博多や大阪の話しではなく
テレビでも毎年放送されている 西宮神社の福男の話しに逸れます。
西宮神社で 毎年福男を選んでいるニュースは目にしますが
一体 あれは いつからか? と言われると ご存知の方は少ないかと思います。
毎年1月10日の早朝に行われる、西宮神社の「福男選び」は
赤門が開いた瞬間に、一斉に駆け出して本殿を目指す神事ですが、
新年の風物詩として全国的に有名ですよね。
でも、この「福男選び」、最初から競争だったのでしょうか?
実は、現在のような激しい競争スタイルに変わったのは昭和初期のことなのだそうです。
西宮神社の「福男選び」は、十日戎の一環として行われる行事です。その起源は江戸時代に遡るとも言われ、元々は最初に本殿に参拝した人がその年の「福男」とされるものだったようです。
当初の一番乗りは、競争というよりも「誰よりも早く参拝すること」が重視され、
静かな形式だったそうです。
時代が進むにつれて、参加者が増え始めた昭和初期頃から、
自然と「誰が一番になるか」を競う意識が芽生えたと言われています。
特に昭和10年代には、現在のような激しい競争が始まり、参加者たちが赤門前に集まり、スタートの合図とともに全力で駆け出す形式が定着したそうです。
そしてこの頃に、西宮神社の十日戎が全国的に知られるようになり、
「福男」に選ばれることが名誉とされるようになり、それが競争心をさらに煽ったとも考えられています。
戦後になると、「福男選び」が大きな注目を集めるようになり、
安全管理や公平性の観点からルールが整備されました。
例えば、現在のように赤門の前に並んでスタートし、本殿までの約230メートルを一斉に駆け抜ける形式は、この時期に確立されたのです。
また、誰もが参加できるオープンなスタイルが、地元だけでなく全国の人々を引き寄せるきっかけとなりましたね、、。
「福男選び」は、神事でありながらもスポーツ的な要素を持ち、新年の風物詩として今では箱根駅伝の様に、欠かせない行事となっている気がします。
しかし
ここで またまた興味が湧くと思うのですが
歴代福男たちの その後は どうなったのか???
また この現代において 福男選びと言う表現は如何なものかと思う方も居るかもしれません
これには 女性は参加できないのか????
の話は
明日へ続く、、、。