EXECUTIVE BLOG
2022.9.15
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 靖国神社の話から 戦犯の話でした。
戦争を指導した全般を A級戦犯と呼び 彼らは 戦後に無理やり作った国際法の
平和に対する罪で 処刑されることになります
が
上官の命令で 捕虜を処刑した一般兵士が BC級戦犯と呼ばれ 処罰を受けることになるのです
彼らの多くは 無抵抗の捕虜を処刑するなど到底出来ないと考えていましたが
上官の命令に逆らう事が出来ず やむを得ず手を下したのですが、
戦後彼らに対しても 連合国は厳しい処罰を与えて ある者は処刑されてしまったのです。
この時 無実を信じて投獄されたいた元兵士の遺書を基に
製作された映画が 「私は貝になりたい」 と言う映画だったのです。
私は 多分子供の頃 フランキー堺が主演の白黒映画を見た事があったのですが
最近 中居君が 主演で上演されていました。
私は それを CS放送で見ましたが なかなかの演技でしたが それ以上に
映画を通してですが 無実を信じる元兵士たちの心情を知ると心が痛くなりました。
この映画『私は貝になりたい』とは、
元陸軍中尉かつ戦争犯罪者であった加藤哲太郎の獄中手記である
『狂える戦犯死刑囚』の遺書の部分を基に作成された作品なのです。
映画では多少過大な演出がされているようですが 概ね その通りのようです。
映画の内容は大体以下の通りです。
時は、第二次世界大戦真っ只中の1944年。
高知県土佐清水市で、散髪屋を営む清水豊松は妻・房江、息子・健一の3人で平凡な生活を送っていた。
ところが戦争は日に日に激化していき、遂に豊松にも赤紙(召集令状)が届き、徴兵されることになった。
部隊に配属された豊松は、
過酷な訓練の中、元々の気弱な性格が災いし、失態を犯してばかりで、
上等兵から暴力を振るわれる日々を送っていた。
ある日、撃墜されたB-29の搭乗員が、大北山に降下したという情報の元、
『搭乗員を確保し、適当な処置をせよ』という命令が部隊に下ったのです。
そして捜索の末、既に瀕死状態であった搭乗員を発見。
豊松は中隊長から捕虜を銃剣で刺殺することを命じられた。
だが、気が縮み上がってしまい、実際は捕虜の右腕に傷をつけただけに終わってしまった。
終戦後、無事帰還した豊松は再び散髪屋を経営していた。
だが、ある日特殊警察によって豊松は戦犯容疑で逮捕されてしまう。
そして理不尽にもほどがある裁判によって豊松は死刑宣告をされてしまうのだった……
と言うような内容です。
そして 最後に遺書が残されています。
涙なくしては 読めない遺書です、
「房江、健一、直子、さよなら。お父さんは、もう2時間ほどで死んで行きます。
お前達と別れ遠い遠い所へ行ってしまいます。もう一度会いたい。
もう一度みんなと一緒に暮らしたい。
許して貰えるなら手が一本、足が一本もげても、
お前達と一緒に暮らしたい。…でも、でも、もうそれはできません。…
せめて、せめて、生まれ変わる事が出来るのなら、
せめて、せめて生まれ変わる事が出来るのなら、
いいえ、お父さんは、生まれ変わっても、もう人間にはなりたくありません。
人間なんて嫌だ。牛か馬の方がいい。
いや、牛や馬なら、また人間に酷い目に合わされる。
いっその事、だーれも知らない深ーい深ーい海の底。
そうだ貝がいい。
深い海の底だったら兵隊に取られる事もない。
深い海の底なら戦争もない、兵隊もない、
房江や健一、直子の事を心配する事もない。
どうしても生まれ変わらなければ、いけないなら、私は貝になりたい…。」
このような悲惨な思いをする戦争は二度と起こしてはならないと思います。
しかし 一方で
国の為にという事で 戦争を指導する者もいるのです。
太平洋戦争における A級戦犯とは誰なのか?????
かれは どのような人物で どのような指導を行ったのか?????
それは???????
明日に続く、、、、。