EXECUTIVE BLOG
2022.9.3
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 明治維新を行った 薩長の話になっていました。
西郷隆盛の策略にはまり 幕府は江戸城を開城しなければならなかったのでは
の話になりました。
歴史は常に勝者が書き換えて行きますので
我々は鎖国を続けて開国をしない幕府が悪者で
それを 坂本龍馬が憂いて 薩長同盟を結ばせ 日本が植民地になる事を
防いだ正義の味方的に なんとなく理解していましたが。
最近でも 薩長同盟が正しかったのか??的な 研究もおこなわれているようです。
しかしどんな研究を行ったとしても 歴史そのモノを変える事は出来ませんから
全てが妄想になりますね
もしかしたら 太平洋戦争も起きていなかったかもしれません。
明治維新を成功に導いたと言われる 薩長が傲慢過ぎた気が最近思うようになりました。
そのきっかけが 松山に行った時に 日本海海戦を勝利に導いたとされる英雄
秋山真之の生家を訪ねた時に見た 彼が残した言葉だったのです。
そこに書かれていたのは 日本は絶対にアメリカと戦ってはならない と言う様な
内容でした。
大国ロシアバルティック艦隊を破った英雄だけに 激しいタカ派かと思っていましたが
小が大に勝つ戦略をもって 緻密な計画でロシアを破ったが
自身アメリカにも滞在した経験も あり アメリカを絶対に敵に回したら勝ち目がないと
考えていたと思うです。
それで 後輩の軍人たちに残した言葉が アメリカとは戦うな だったのでしょう。
しかしながら 明治維新で勝ち 日清戦争で勝ち 日露戦争でも勝つことで
やがて 薩長を中心とする軍部は傲慢な考えに陥ったのではと思います。
これは 徳川時代も テレビドラマ 水戸黄門でおなじみの
葵の御門をせ見ると 皆平伏したように
当時の軍部は 錦の御旗の威光が外国にも通用すると思ってたのではと
思うのです
しかし 結果は 見ての通りの敗戦で 約300万人もの犠牲者を出すことになったのです。
最後の最後まで神風が吹くと信じて国民を鼓舞した威力もついに力尽きてしまったのです。
秋山が残したように アメリカとは戦うなの言葉を守っていたならば
そして 徳川家のように 懐柔政策を中心に 外交を行っていたら
歴史は大きく変わっていたかもしれませんね
と 最近思うようになってきました
と言うことで
いつまでも 明治維新の話を続けるわけには行きません
明日は ずいぶん前から途中になっている
日本三大怨霊の 最後の一人の話にもどります
その怨霊とは 誰??
は
明日に続く、、、。