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社長&顧問ブログ

2022.12.19

竹屋食堂

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までもラーメンネタから抜け出せず 長浜ラーメンの話になったいました。

そして 今日からは 新しいネタに入るはずでしたが

昨日 ある情報が飛び込んできました。

 

ここのブログでも書かせて頂きましたが

ラーメン発祥の地は 浅草で 最初にラーメンを提供したのが 来々軒だと

思っていましたが、

 

つい ラーメンと言う名の名付け親は居たのか??を 探していた時に

実は ラーメン発祥の地が 浅草では無かったことが判明したのです。

 

近年、その定説が覆されていたのです。

来来軒 は1910年にラーメンを出し始めたのに対して、

それよりも26年も前に函館でラーメンが提供されていたのです。

しかしながら、その証拠の文献は1つしかなかったと言うのです。

 

その唯一の手がかりというのが、函館新聞に掲載されていたラーメンの広告だったと言うのです。

その広告は、 明治17年(1884年)4月28日(月)付の函館新聞の広告で、

中華料理店「養和軒」 が「南京そば15銭」との広告が出稿されていたのです。

南京そばは 後にラーメンと言われるものですから

1884年の 中華料理店「養和軒」が 今 分かっている ラーメンを最初に出した店という事になります。

 

では ラーメンの語源についてですが

当時はラーメンのことを「南京そば」「支那そば」と言ってましたが、

いつからそれが「ラーメン」になったのでしょうか??

 

その言葉の 発祥地は何と札幌でした。

大正11年、札幌の北海道大学正門前にある本格的な中華料でラーメンが登場しました。

店名は「竹家食堂」で、ここで料理長「王文彩」が「肉絲麺」を作っていました。

 

当時から人気メニューだったそうですが、

支那そばといった名称が差別的用語であることに心を痛めたこの店の店主が

名前を変えようと思ったのだそうです

 

「出来ました」と言う中国語が「ハオラー」とうのだそうですが

この「ラー」と、引っ張って麺を作る動作をかけあわせて、

「ラーメン」と命名したのがきっかけで それが定着したのが大正11年だったそうです。

 

このようにして日本最初の”ラーメン”が出され、

大正13年にはどんぶりを 中国から取り寄せ国内で作らせて、龍の模様を使ったラーメンどんぶりを考案して、これが札幌市内のラーメンの原点となったと言われています。

 

という事は、歴史的に見ても、ラーメン発祥の地は 浅草ではなく 札幌という事になるのではないかと思いますが

その判断は 専門家に任せたいと思います。

 

私は 一番好きなのが 札幌味噌ラーメン 次が 東京醤油ラーメンで 博多ラーメンは

その次となります。

 

多分 高校時代に食べ過ぎて飽きていたのだからと思います。

 

どこにでもラーメン屋さんはありますが

長崎では なかなか見つけるのが困難で やはり長崎は ちゃんぽん文化だからだとおもいます。

 

話が今日もラーメンになってしまいましたが

 

次は 東京の魚市場の話になります

それはどこに在ったのか????

明日に続きます、、、、。

 

 

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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