EXECUTIVE BLOG

社長&顧問ブログ

2025.2.21

筑波藤麿宮司

高光産業株式会社

妹尾八郎です。

 

昨日までは 天皇陛下の靖国参拝中止の話しでした。

今日は そうなったいきさつについての話になります。

 

靖国神社の歴史において、松平永芳宮司の後任である 筑波藤麿宮司 が、

1978年に A級戦犯 を合祀したことは、日本国内外で大きな議論を巻き起こしました。

この決定はなぜ行われたのか? どのような経緯があったのか?

の話に進みます、、、。

 

 

まず、靖国神社とは 「国家のために命を捧げた英霊を祀る神社」 です。

もともとは明治時代に創建され、戦死者を神として祀るという独自の形をとっています。

 

1945年の敗戦後、GHQの占領政策によって靖国神社は国家管理から分離され、

一宗教法人として存続することになりました。

この際、「戦争犯罪者は合祀しない」という方針が

一般的な考え方として存在していたのです。

 

松平永芳宮司と言う方は(在任:1966~1978年)は、旧華族であり、

戦前戦中の皇室や政治家とも深い関係があった人物でしたが、

在任中には戦犯合祀を実行しませんでした。

その背景には、昭和天皇のお考えや国際関係への慎重な考慮があったとされています。

その後

1978年、松平宮司の後を継いだのが筑波藤麿 宮司(在任:1978~1981年)でした。

彼が就任した直後、A級戦犯14名が靖国神社に合祀してしまったのです。

 

この決定には、どのような要因があったのか???。と言いますと、、

実は、A級戦犯合祀の動きは松平宮司の時代から密かに進められていました。

1970年、靖国神社は厚生省(現在の厚生労働省)から

「公務死」として扱われた戦犯のリストを受け取りました。

これにより、神社側は戦犯の合祀を検討し始めたのです。

 

1975年には、神社の責任者らが戦犯合祀の是非を議論し、

「合祀は可能である」との結論に達したのです。

しかし、松平宮司は 「政治的影響が大きすぎる」として決断を先送り していました。

 

松平宮司の後を受けた筑波宮司は、

戦犯であっても「戦争に関与した者は全員英霊として祀るべき」

という信念を持っていました。

 

神道の考え方では、

亡くなった者の善悪を問うのではなく、その魂を鎮めることが重要視されます。

こうした宗教的立場から、

筑波宮司は 「戦犯も戦争で亡くなった者と同じ英霊である」と考え、

合祀を決断したのでした。

 

当時の政府が公式に戦犯合祀を指示したわけではありませんが、

当時の政治的状況も影響を与えました。

田中角栄政権(1972-1974年)や福田赳夫政権(1976-1978年)では、

「戦犯赦免運動」が活発化 しており、多くの戦犯が公的な名誉回復を受けていました。

 

また、1978年当時の大平正芳首相(1978-1980年)は、

戦犯合祀に関する議論を公にすることを避け、

靖国神社の判断に委ねる姿勢を取っていました。

このため、

政治的な後押しがなくとも、合祀が進められる環境が整っていたのです。

 

A級戦犯合祀は 1978年10月17日に極秘裏に行われました。

しかし、翌年になってこの事実が明るみに出ると、

日本国内外で大きな波紋を呼んでしまったのです。

 

合祀が公表された後、昭和天皇(裕仁天皇)は靖国神社への参拝を 事実上取りやめました。それ以前の天皇は戦後も靖国神社に参拝していましたが、

昨日書いたように1988年に富田メモ(宮内庁長官・富田朝彦の記録)が公表され、

「A級戦犯の合祀によって天皇の気持ちが変わった」とする証言が注目されました。

 

戦犯合祀は、中国・韓国をはじめとするアジア諸国から強い批判を受けました。

戦犯を「英雄」として祀る靖国神社に対する不信感が高まり、

以後、日本の首相が靖国参拝を行うたびに外交問題へと発展するようになったのです。

 

また、日本国内でも

「靖国神社は戦争を正当化しているのではないか?」という批判が強まり

靖国参拝をめぐる論争は今日まで続いていますね。

 

筑波藤麿宮司がA級戦犯を靖国神社に合祀した理由を整理してみますと、、

 

戦後の「戦犯赦免」の流れ の中で、戦犯も「公務死」として扱われるようになった。

靖国神社内部での合祀の議論は、1970年代にすでに決着していた。

筑波宮司は 「死者の善悪を問わず祀る」という神道の信念 から合祀を決断した。

政府はこの問題に関与せず、 政治的に黙認 する形を取った。

しかし、合祀が発覚すると、 天皇の靖国参拝中止や国際的批判を招いた。

と言う事でないかと思います。

 

この決定が

日本の歴史認識や外交関係に長年にわたって影響を与え続けていることは間違いありません。

筑波宮司の宗教的判断が、結果として政治的な大問題へと発展したのです。

 

靖国神社の戦犯合祀問題は、単なる過去の出来事ではなく、

今なお日本社会や国際関係に深い影響を与え続けています。

 

神道的には亡くなった方を敬う事は大事だと思いますが

そこに 後世の人間が思惑をもって 違う方向に導いてしまうかもしれない事が

問題ではと思いますが、、、、、

 

いずれにしても 国を平和にしたいとの思いで亡くなった英霊には敬意を表したいと

思います。

 

まもなく 二月二十六日を迎えます

 

最近ではニュースでも取り上げられませんが

二・二六事件が起きた日です。

 

この事件は どのような事が原因で起きたのか???

その時の天皇の判断は???

 

その後首謀者がどうなったのか??

 

明日に続く、、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

次の記事へ
前の記事へ
PAGE TOP