
EXECUTIVE BLOG
2026.1.25
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは 日系人の英雄 ダニエルイノウエに関する話でした。
彼のような 英雄が居た一方で 多くの日系人は苦労していました。
今日は その話しに進みます、、、。
太平洋戦争期のアメリカにおける日系人の歴史を語るとき、
しばしば第442連隊やダニエル・K・イノウエのような英雄的存在が強調されます。
しかし、その背後には、英雄でも指導者でもない、
圧倒的多数の名もなき日系人たちが置かれていた過酷な現実がありました。
彼らはアメリカで生まれ育ち、あるいは移民として必死に働きながら
生活基盤を築いていたにもかかわらず、
「敵国人」であり「有色人種」であるという二重の理由だけで、
突然、日常と尊厳を奪われていったのです。
戦前から日系人はすでに制度的な差別の中に置かれていました。
アジア系移民は白人と同等の市民権取得を認められず、
帰化が事実上不可能とされ、土地所有も制限されていました。
カリフォルニアなどでは外国人土地法によって農地を持つことが禁じられ、
名義を子どもに移すなどの苦肉の策で生活を守っていた家庭も少なくありませんでした。
就職の機会も限られ、住む地域も事実上分けられ、
学校や公共施設でも露骨な差別を受けることがありました。
それでも多くの日系人は不満を表に出さず、農業や漁業、小売業などで黙々と働き、
子どもたちには教育を受けさせ、
「この国で真面目に生きることが信頼につながる」と信じて努力を重ねていました。
ところが1941年の真珠湾攻撃を境に、その信念は一瞬で崩れます。
日系人であるというだけで忠誠心を疑われ、
長年暮らした地域社会から突然背を向けられ、
暴言や嫌がらせ、商店への略奪や放火にまで及ぶ事例も起こりました。
そして1942年、大統領令9066号によって
約12万人の日系人が強制的に立ち退きを命じられます。
そのうちおよそ3分の2はアメリカ市民であり、
裁判も証拠もなく、ただ血筋だけで自由を奪われました。
数日から数週間の猶予しか与えられず、
家や土地、商売道具、思い出の品々を手放さざるを得ませんでした。
多くの財産は二束三文で処分され、あるいは無人となった家は荒らされました。
彼らが送られた収容所は、砂漠や荒野など人の住まない場所に急ごしらえで造られ、
粗末なバラックに家族単位で詰め込まれました。
冬は隙間風が吹き込み、夏は灼熱の暑さにさらされ、トイレや風呂には仕切りもなく、
プライバシーはほとんど存在しませんでした。
医療体制は不十分で、慢性疾患や高齢者への対応は遅れがちでした。
子どもたちは収容所内で簡易的な学校教育を受けましたが、
教材も教師も不足し、将来への不安を抱えながら学ぶ日々でした。
大人たちは収容所内で低賃金の労働に従事し、農作業や施設の維持管理を行いましたが、
それは自発的な仕事というより、生活を成り立たせるための最低限の選択でした。
心の面でも、彼らは深い葛藤を抱えていました。
自分たちは何も悪いことをしていない、
しかし声を上げれば家族がさらに不利益を被るかもしれない、
そうした思いの中で、
多くは怒りや屈辱を心の奥に押し込め、「耐えること」を選びました。
若者の中には、家族が有刺鉄線の内側にいるにもかかわらず、
米軍への志願を決意する者もいました。
忠誠を疑われたままでは生きていけないという現実が、
彼らを戦場へと向かわせたのです。
一方、収容所に残された家族は、不安と孤独の中で日々を過ごしました。
戦後、収容所から解放された日系人を待っていたのは、
決して温かい社会ではありませんでした。
戻る家も仕事もなく、かつての隣人から冷たい視線を向けられることもありました。
そのため多くの日系人は、過去を語らず、沈黙を選びました。
子どもたちには「迷惑をかけるな」「人一倍努力しなさい」と教え、
収容所での体験は家庭内でも語られないまま封じられました。
この沈黙は弱さではなく、次の世代を守るための選択でした。
しかし同時に、その沈黙は世代間に見えない傷も残しました。
子どもたちは、なぜ親が過去を語らないのかを理解できず、
アイデンティティの揺らぎを抱えることもありました。
やがて時代が進み、公民権運動の流れの中で、日系人自身が少しずつ声を上げ始めます。
強制収容が誤りであったことが公式に認められ、
謝罪と補償が実現するまでには40年以上の歳月が必要でした。
その過程を支えたのは英雄ではなく、
証言を重ねた元収容者、記録を残した研究者、沈黙を破る決断をした家族一人ひとりでした。
現代において、日系人は社会の各分野で活躍し、表立った差別は減りました。
しかしこの歴史が教えているのは、恐怖と偏見が広がったとき、
法や国籍は簡単に踏みにじられるという現実です。
英雄の物語は希望を与えますが、
名もなき多数の日系人が耐え抜いた日常こそが、この歴史の核心です。
彼らは愛国心を声高に語ることなく、静かに生き抜くことで尊厳を示しました。
その積み重ねが、今日の日系人社会の信頼と評価につながっているのです。
この歴史は過去の出来事ではなく、
多様性と共生が問われ続ける現代への、重く静かな問いかけでもあります。