EXECUTIVE BLOG
2022.2.12
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日は 建国記念の日でした。
その為 野球のお話は 一旦終わって
建国記念日と 建国記念の日 の違いについての話になってしまいました。
何故 「の」を入れなければならなっかのか?が 不思議ですが
それまでの紀元節が 敗戦により 廃止になってから20年後の
やはり 建国の日を取り決めようという事になったのです。
だったら 紀元節で 2月11日が 建国の日としていたのだから
これの呼び方を変えて 建国記念日で良い気がしますが、
実際 日本が建国されたと日は学問的には証明できないからと言う理由で
「の」を入れて なんとか 取りまとめたと言うのです。
昨日の続きで アメリカなどには 独立記念日や建国記念日がありますが
イギリスには無いのです
これも日本と同じ理由かといいますと
そうではないのです。
その理由は
イギリスは4つの王国からなる連合王国なので、
建国に関する日が制定されていないという事らしいです。
建国記念の日が 大体何か??は 分かりましたが
そもそもの 紀元節って何なのか?を知らない方が多いかと思います
この辺りは 学校では教えませんものね、、、。
紀元節は、日本書紀が伝える「神武天皇」即位の日に基づいて
明治時代に制定された祝日です。
日本書紀には、
「辛酉(しんゆう)年、春正月、庚辰(かのえたつ)朔」
との記載があります。
明治政府は紀元節の日付を決めるために、当時選りすぐりの学者先生を集め、議論したそうです。
その結果、神武天皇が即位した辛酉の年は、
西暦で言うと紀元前660年であるという結論になりました。
次は、何月何日なのか?ですが
「春正月 庚辰朔」とは
「正月の庚辰の日が新月(=その月の最初の日)である」という意味なのだそうで、
太陽暦で、立春は正月。
その1日は、立春後の新月の日なので、太陽暦に換算すると、、、、
2月11日となるのそうです。
こうして、紀元節=紀元前660年2月11日であると 明治5年(1872年)に決まって
祝日にしたようです。
日本書紀が編纂されたのは、720年。時代で言うと奈良時代ですが
奈良時代から、日本人は紀元節を祝ってきたのか? と言う疑問が湧いてきますね、
紀元節を祝い始めたのは、明治政府の方針だったようですので
江戸時代までは紀元節を「建国記念の日」としては盛大に祝っていなかったようです。
それを 何故 紀元節と言う祝いの日を制定したのか??ですが
明治5年と言えば 維新から間もない時です
江戸時代までの日本では太陰暦を使っていたのです。
それが、この明治5年になって、西洋から伝わった太陽暦を使う事となったのですが、
今まで 太陰暦しか知らず それを使ってた日本人は かなり面食らったと思います。
当時の指導達も 西洋の文化を押し付けられたと考えた人もいたようです。
その時に、おそらく
「西洋の国々が、わが神国日本に対してキリスト教の暦を押し付けてきた」
という反発があったのではと言われていたようです
暦を押し付けられたのは致しかたないにしても、
せめてそこで、イエス・キリストの生誕より古い、もっと権威のある紀元は無いか???・・・と考えたのでは? と言う説があります。
では、明治政府はどのように、
紀元節を国民に浸透させ、お祝いさせるようにしたのでしょうか?????????
それは
明日に続く、、、、。