EXECUTIVE BLOG
2023.2.13
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 11日が建国記念の日だったという事もあり
建国記念の日に纏わる話でした。
「建国記念の日」は、「建国をしのび、国を愛する心を養う日」として、
1966(昭和41)年に定められたのです。
この2月11日という日付は、初代天皇とされる神武天皇の即位日である【旧暦】紀元前660年1月1日にあたり、明治に入って【新暦】に換算した日付というわけなのです。
最近の方は殆ど ご存知ないかと思いますが、
そもそも明治時代には、「紀元節」と呼ばれる建国を祝う祝日がありました。
しかし、第二次世界大戦後の1948(昭和23)年に
「紀元節を認めることで、天皇を中心として日本人の団結力が高まるのではないか」
というGHQの懸念により「紀元節」は廃止されることになってしまいました。
GHQが何かも今の時代では分からない方が多いですね
この話は 又次回という事で、、、
紀元節が廃止となった後も国民の間で「紀元節」復活の動きが高まったのですが、
国会で議案提出&廃案を経て、1966(昭和41)年にようやく、
「建国記念の日」は国民の祝日に追加されることに決まったのです。
戦後21年もかかったと言うわけになります。
成立までに時間がかかった背景には何があるかと言いますと、
「紀元節」の復活に意義を唱える野党等からの反発と
現在の歴史学では神武天皇の存在に確証がなく
「正確な起源が分かっていないのに建国記念日など定められない」
とする学者からの意見が多くあったことがあげられていたようです。
最終的に、史実に基づく建国された日とは関係なく、
たんに建国されたという事実をお祝いするという考えのもと、
「記念日」ではなく「記念の日」となりました。
しかし 日本語は難しいですね
私的には 建国記念日で良いと思いますし、 今一度名前を紀元節に戻して
良いのでは思ってしまいます。
先ほど書いたように ここには 戦勝国であるアメリカの意思が
強く働いていたのですね
GHQは 何を恐れていたのか???
の話は、、
明日に続く、、、。