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社長&顧問ブログ

2024.8.13

紅露時代

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは 東京タワーがある 芝公園の中の紅葉山から

明治の文豪 尾崎紅葉がペンネームにしたと言う話でした。

 

尾崎紅葉と同時期の文豪が 幸田露伴で

明治の文学界に大きな影響力を持ち、「紅露時代」と称されていました。

日本文学史上に大きな功績を残した大文豪・尾崎紅葉は 37歳と言う若さでこの世を去りました。

 

尾崎紅葉の金色夜叉がヒットした時代背景として西洋から入った文化があると言えます。

明治期の男女の恋愛や結婚観がうかがえる作品が当時多く書かれていたようです。

 

特に尾崎紅葉の「金色夜叉」の内容が

貫一とお宮は結婚を約束していたが、お宮は大富豪に嫁ぐことを決める。

怒った貫一はお宮を蹴り倒して去ってゆくと言う内容ですが、

 

この作品では、貫一は、永遠の繫がりを求める「愛」の理想を語っていたと言う事になります。

これが明治期に西洋から輸入された理想だと言われているのです。

 

この物語の中に貫一の「愛」はどこかひとりよがりな感じがしますね、

もともと、明治以前の日本では、

「愛」という言葉には性愛や執着という否定的なニュアンスを伴うことが多く、

愛への理想は日本人に馴染みにくいものであったのです。

 

その「愛」への過度の期待が、貫一のひとりよがりな態度をもたらしていたと同時に

大富豪になびくお宮の姿勢は、

経済力のある男性との結婚が自立して生きることが困難であった当時の女性にとっていかに魅力的であったのかを示していると言われています。

 

江戸時代から明治維新を経て日本語の使われ方も大きく分かりました。

国際社会に乗り出していった明治時代に日本語もまた改革の時を迎えていたのです。

 

この時代に、分離していた「書き言葉」と「話し言葉」の境界線をなくし、

言文一致体と言う文学が現れるのですが

それを作った作家が二葉亭四迷と言われています。

 

そして その日本語の文体に革命を起こした記念碑的作品が『浮雲』と言う作品なのです。

 

明治より前の日本で小説というと、『源氏物語』の哀れ深い王朝時代の小説や、

『南総里見八犬伝』『東海道中膝栗毛』などの草紙もので、

この時代で扱われる文章は現代の私たちの言うところの「古文」と言う事になりますね、、、。

 

江戸時代まで、話し言葉と書き言葉は分離された言語でした。

これがなぜ変革される必要があったのか言うと理由はシンプルで、

表現上の関係だったのです、

この時代は世界的には写実主義が大フィーバーの19世紀後半です。

 

現実を舞台に人間や社会を描く文章が必要でしたから、

そのために「いとあはれ、あなをかし」というような文章だと興ざめしてしますのです。

 

日本は国際社会と文化面でも戦っていく必要だった時代でしたから、

 

文学者たちもさらに自由な表現を求めていったのだと思われます。

 

長い間の常識を打ち破るのは かなりの勇気が必要だったかもしれませんが

彼らは 時代の改革者だったと言えます。

 

しかし ここで 疑問も残りますね

何故 二葉亭四迷は日本語の文体に革命を起こす事が出来たのか???

です

それは

 

明日に続く、、。

 

高光産業株式会社 公式サイト

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