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社長&顧問ブログ

2019.8.15

終戦記念日

高光産業株式会社  妹尾八郎です

 

本日は終戦記念日ですね。

 

もう戦後74年を迎えます

 

当時20歳だった方も もう94歳になりますね

 

国民の多くは 戦争の事にすら興味が 無くなってると思いますが

 

この大戦で200万人を超える軍人と 約100万人の民間人が犠牲になりました。

 

原爆でも多くの方かが亡くなりましたが  昭和20年の310日の

 

東京大空襲も 原爆の被害と同じくらいの約8万人の犠牲者が出たのですよ。 ご存知でしたか??

 

しかも狙ったところが軍需工場ではなく 下町の一般住民が多く住む地域なのです。

 

ここは木造住宅が多いので 火の手は一気に大きくなったのです。

 

又 荒川と隅田川に挟まれたエリアでしたが 爆撃は 川に近い場所から 中心にめがけて行われたのです。

これには米軍の狙いがあったのです。

 

住民は 逃げ場を失い どんどん中心に向かって逃げますよね

 

火の手は その両方からくるので どうすることもできずに

 

そこで 10万人近い死傷者が出たのです。

逃げ場を与えず 多くの人を焼け殺したのです。

 

この頃になると 絶対防空圏も破られて 日本中のあちこちが 米軍の爆撃機で

空襲を受けていたのですが

日本には これを防ぐ国力も無くなってました。

 

そして、6月には 沖縄軍が全滅し 8月には 原子爆弾が落とされ

日本は ポツダム宣言を受諾するしか道がありませんでした。

 

これは 日本の無条件降伏ですので 日本軍はこれを受諾するのには断固反対でした。

 

しかし ご聖断がくだり 

内閣はポツダム宣言を受諾することで閣議決定を行いました。

 

ところが 軍部の一部が これに断固反対し 

命令に背いて 反乱を起こすのです。

 

これが宮城事件と呼ばれるもので

 

その内容は

 

1945年(昭和20年)814日の深夜から15日(日本時間)にかけて、

宮城(194871日以前の皇居の呼称)で一部の陸軍省勤務の将校と近衛師団参謀が中心となって起こしたクーデター未遂事件です。

 

日本の降伏を阻止しようと企図した将校達は近衛第一師団長森赳中将を殺害し、

師団長命令を偽造し近衛歩兵第二連隊を用いて宮城(皇居)を占拠したのです。

 

しかし陸軍首脳部・東部軍管区の説得に失敗した彼らは日本降伏阻止を断念し、

一部は自殺もしくは逮捕され、これにより日本の降伏表明は当初の予定通り行われたのです。

 

この時に 玉音放送がなされなかったら 終戦は長引いたかもしれませんし

 

当時の陸軍大臣である阿南大将が もし 大臣を辞任していたら 内閣は総辞職となり

終戦の決定をすることが出来なかったにです。

 

 

八月十五日の正午 玉音放送が流れ 全国民は日本の無条件降伏を知ることになるのです

 

これらの犠牲と多くの方の努力により

日本は戦後奇跡的な発展を遂げ平和国家のなっていくのです。

 

本日終戦の日を迎え 世界真の平和を願わせて頂きます。

 

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