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2025.3.26

聖墳墓教会

高光産業株式会社

妹尾八郎です。

 

昨日までは バチカンにあるサンピエトロ神社の話しでした。

ご承知の通り カトリックの総本山ですよね、、、、。

 

昔この事に違和感を持っていた話に 今日は進みます。

 

キリスト教の物語において、最も核心的な出来事のひとつが

「イエス・キリストの十字架刑と復活」ですね。

彼が処刑されたとされる「ゴルゴダの丘」、そしてその墓所と信じられている場所には、

現在「聖墳墓教会」が建っています。

この教会は、世界中から巡礼者が訪れ、まさにキリスト教の“原点”とも言える聖地だと

私も考えていました。

 

しかし、

キリスト教の“総本山”として世界的に知られているのは、

中東ではなくヨーロッパ、ローマの中にある「バチカン市国」の「サン・ピエトロ大聖堂」です。

「イエスが処刑されたのがエルサレムのゴルゴダの丘なら、

キリスト教の中心=バチカンも、そこにあるべきでは?」と疑問が湧きますね、、、。

 

実はこれは、キリスト教の歴史・神学・地政学を理解するうえで、非常に奥深い問いでもあるのです。

 

バチカンはなぜローマにあるのか?ですが

結論から言えば、それはペトロの墓所」があるからだと言う事なのです。

 

ペトロとは、イエスの十二使徒のひとりであり、

カトリック教会において「初代ローマ教皇」とされる人物です。

新約聖書では、イエスがペトロにこう語る場面があります。

 

「あなたはペトロ(=岩)である。この岩の上に、わたしの教会を建てよう」

この言葉が、カトリックにおける教皇制度の神学的な基盤となったのです。

 

伝承によれば、ペトロはローマで殉教し、その墓の上にサン・ピエトロ大聖堂が建てられたとされています。

つまり、バチカンは単なる“選ばれた場所”ではなく、

「教会の継承の起点」として聖なる意味を持っている事になるのです。

 

しかし次に、ローマはどうしてキリスト教の中心地になったのか?と疑問が湧きますね、、、。

 

もともとキリスト教は、イエスの死後、弟子たちによってローマ帝国全土に広がっていきました。

当初は迫害の対象でしたが、4世紀初頭、ローマ皇帝コンスタンティヌスによって公認されると、ローマは事実上の宗教的中心地となるのです。

 

さらにコンスタンティヌスは、

イエスの処刑と復活の地とされるゴルゴダに「聖墳墓教会」を建てました。

しかし、政治的・宗教的な拠点としては、すでにローマが力を持っていたのです。

 

このように、歴史の流れと共に、キリスト教の“中心”はエルサレムからローマへと移動していったと言う事になるのです。

 

たしかに、聖墳墓教会はイエスの死と復活を記念する、極めて重要な聖地です。

しかし、そこが教会組織の「総本山」とならなかった背景には、

複雑な歴史と地政学的事情があったのです。

 

エルサレムは、キリスト教だけでなく、ユダヤ教、イスラム教の聖地でもあり、

長い歴史の中で幾度も支配者が変わり、宗教的にも政治的にも不安定な地域でした。

 

さらに現在では、聖墳墓教会はカトリック、ギリシャ正教、アルメニア使徒教会など、

複数の教派が共同で管理する「共有聖地」となっています。

カトリック単独でのコントロールができないという点も、

“中心地”としての役割を果たしにくい要因となっているようです。

 

「キリスト教の総本山はエルサレムにあるべきでは?」と感じていましたが、

イエスが生き、歩き、苦しみ、そして復活したとされる地には、

それだけの重みとリアリティがあります。

 

しかし、キリスト教は“記念”の宗教ではなく、

“普遍の信仰”として世界中に広がっていきました。

その過程で、ペトロの殉教地であるローマが、

教会の組織的な中心としてふさわしい場所となったと言う訳なのです。

 

エルサレムは“始まり”の場所。バチカンは“継承”と“広がり”の場所と考えれば良いのです。

 

この二つの聖地を見つめることで、キリスト教の歴史や信仰の奥行きを、

より深く感じ取ることができるのではないかと思います。

 

では あれはどこにあるのか????

 

の話は

 

明日へ続く。

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