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社長&顧問ブログ

2020.12.1

聖徳太子から?

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです

 

どこから話が 逸れてしまったかのか分からなくなってしまいましたが

いつの間にか 終戦の時の話に飛んでしまっています

 

戦時中は 自由な発言が出来なかった事が当たり前のことで

相互に監視させる制度として 隣組と言う組織があったり

とか

今考えると非常識な事が多々あったと思います

 

そして

戦争に突入して 皆さんご存知のように

開戦当初は 勝ち戦でしたが

ミッドウェーの海戦で 負けてから 日本はどんどん追い詰められていくのです

 

南方の島々では 米軍が上陸するたびに 日本軍は全滅していたのでした。

この全滅の事を 当時は玉砕と呼んでいました。

 

話は 少し戻り ミッドウェー海戦の前 まだ日本軍の快進撃が

続いていた時に

日本海軍が誇るゼロ戦は イギリスの戦艦 プリンスオブウェールズと

レパルスと言う戦艦を撃沈しているのです

 

当時の常識では 飛行機で戦艦を撃沈することが出来ないと言われていたので

この戦いで 飛行機が戦艦より強い事を証明してしまったのです。

 

これを 知った米軍の戦略は 大艦巨砲主義から飛行機を中心とした

航空母艦を中心とした機動部隊に戦力を集中するのですが

当の日本軍は 自らそれを証明したのにも関わらず 航空母艦に

舵を切らず それがミッドウェーの敗戦に繋がったとも言われています。

 

ここらあたりの話はあくまで私も伝聞で確かな資料を確かめての

話ではないのでご容赦頂きたいと思います。

 

このように制海権 制空権を米軍に奪われて行き 映画でも有名になった

硫黄島の戦いにも敗れ その事から 日本本土への空襲が可能になり

日本全土が空襲に見舞われることとなったのです。

 

ついに 反撃する力もなくなり 最後の作戦として 特別攻撃による

敵艦体当たりを敢行するのですが 殆ど成果も上げられず 先日書いたような

若い優秀な日本人の多くの命が失われて行ったのでした。

 

それでも 軍部は 本土決戦を計画し始め そうなると 100万もの米軍が

日本に上陸することになり まさに国内が主戦場となり 殆どの日本人は死んで

しまう事は予想できたのです。

 

しかし 自ら敗戦を口に出せる人がおらず 最後は天皇の言葉を借りて

終戦の道へ進むことになるのです

 

これで 皆 自分が言い出しっぺではないので

今度は手のひら返して 終戦への道へ進むのですが

 

その時 軍の上層総部が使った言葉が承詔必謹と言う言葉だったのです。

この承詔必謹という言葉は、

「十七条憲法」の第三条にあるもので、

「詔を承りては必ず謹め」、

すなわち畏れ多くも天皇陛下のお言葉であれば、必ず謹んで聴かねばならない、

というものだったのです。

 

古来、我が国の国体の中心にまします天皇陛下のお言葉に対し、必ず謹んで聴かねばならないのは、異論を差し挟む余地のない「当たり前」のことであったので

聖徳太子はこの「当たり前」の不文の法を成文化し、十七条憲法とされたのです。

そして 承詔必謹と言う言葉で 全軍が一気に終戦に向けて動き出すのです。

 

しかし 終戦に向けて これだけで終わならかったのです

一部将校は 天皇は無能な軍幹部や政府から 言わされたんだと

反論し 参謀部将校たちが反乱を企てることになったのです

 

そして その反乱軍が なんと皇居を占拠してしまうと言う

暴挙に出たのでした

 

天皇陛下を人質にとる作戦にでたのです

 

これでは 御名御璽ができず 終戦にすることができないのす。

 

皇居を守っているはずの近衛連隊はどうしていたのか?

何故そのような事が起きてしまったのか???

 

その話は

 

明日に続く、、。

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