EXECUTIVE BLOG
2024.2.10
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは
占領下の日本の話で
人々が貧しい中 又 孤児も多くいた中
京都大学アメリカンフットボール ギャングスターズの創立メンバーの
澤田久雄さんの お母さまが 彼らを救うべくある決意をしたと言う話でした。
当時の日本においての 米兵による暴行事件などは 米国憲兵隊によって
厳しく取り締まられていましたが
ソ連兵は ベルリンに進撃した時は 多くのドイツ人に対して暴行を働いていましたし
同じ様に 満州においても多くの日本人の女性が乱暴されていました。
それが 最近のウクライナ侵攻時においても同じような事が行われていましたし
古くは江戸時代に 対馬を勝手に占領して ここでも女性を連れ去ったと言う話が残っています。
そう考えますと 占領軍が米国主導だったのは なりよりだったのかもしれませんね
それでも 一部心無い兵士によって 傷ついた女性がいたのも事実で
そこから 身寄りのない孤児が出て来てしまいました。
この孤児の為に その後 美喜さんは 孤児院を設立することになるのですが
それには 原点がありました。
先に書きましたように、美喜さんは三菱初代社長である岩崎弥太郎の長男久弥の長女として誕生しました。
美喜さんの祖母喜勢さんの彼女に対する愛情はことのほか深く、大切に育てられたそうです。
おばあ様は美喜さんを「お茶の水」と呼ばれる女子高等師範学校付属の幼稚園に入園させたのですが
そこで またまた凄い話があるのです
そのころ、岩崎家には三人の兄たちに英語を教えるため、その後津田塾大学の創立者となる、津田梅子さんが家庭教師としてやって来ていたのです。
津田梅子は6歳のときに岩倉使節団に随行して渡米した、日本で最初の女子留学生の一人ですね。
彼女はアメリカの初等・中等教育を受け、生活文化を吸収して成長したわけですが、
その知識と経験が美喜さんに与えた影響は計り知れないものがあったと思われます。
そしてその時美喜が次に出会ったのは聖書だったのです。
しかし、美喜がクリスチャンの同級生から手に入れた聖書をこっそり家に持ち帰って読んでいると、祖母の喜勢に見つかって取り上げられてしまいます。
そのうち、何度取り上げても聖書が手に入るのは学校のせいだとして、美喜はとうとう「お茶の水」を退学させられてしまったのです。
しかし この時聖書との出会いで
大きく運命が変わっていくのです。
そして
それが
どう変わって行くのか????
は
明日に続く、、、。