
EXECUTIVE BLOG
2025.4.25
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは ドラクロアの絵画の 自由の女神の話しでした。
「自由の女神」と聞くと、多くの人がニューヨーク・ハーバーに立つあの巨大な像、
右手にトーチを掲げ、左手に独立記念日が刻まれた銘板を抱えたブロンズ像を思い浮かべると思います。
この自由の女神と
もうひとつの「自由の女神」であるフランスの画家ウジェーヌ・ドラクロアが
1830年に描いた『民衆を導く自由の女神』に登場する、旗を掲げた女性像があります。
どちらも「自由」を象徴しながらも、
掲げているものが「旗」と「トーチ」と異なるのはなぜか?
また、
ドラクロアの作品がアメリカの自由の女神像のモデルになったという話は本当なのか?
このふたつの「女神」の意味と背景を紐解きたいと思います。
まず、ドラクロアの絵画に描かれている女性像についてですが、
この作品は1830年のフランス七月革命を描いた歴史画であり、
画面中央の女性が民衆を先導してバリケードを越えて進んでいく様子が力強く描かれています。
彼女が掲げているのは、フランスの三色旗(青・白・赤)ですね。
この女性像がフランス共和国を擬人化した「マリアンヌ」であり、
理想の自由と民衆の力を象徴しているのです。
彼女は裸足でありながら堂々と立ち、戦場を血まみれになりながらも進む姿は、
まさに革命精神の体現と言えるのです。
つまり、旗は「国民による自由獲得の象徴」として機能しており、
政治的・社会的な変革を訴えるシンボルだと言う事になるのです。
一方、ニューヨークの「自由の女神」は、正式名称を「世界を照らす自由」といい、
1886年にフランスからアメリカへ贈られた記念碑的彫像です。
この像が右手に掲げているのは「トーチ」、すなわち“自由の光”を意味しているのです。
自由を獲得するための戦いを鼓舞するのではなく、自由を得た後にそれを世界へと広め、
照らす光となることを表しているそうです。
台座にはアメリカの独立記念日「1776年7月4日」と刻まれており、
独立と民主主義、そして受け入れの精神が込められているのです。
このように、「旗」と「トーチ」の違いは、
自由の概念における時間軸の違いにも関係しています。
ドラクロアの旗は「今まさに自由を勝ち取ろうとする瞬間」を象徴していますが、
ニューヨークの女神が掲げるトーチは
「既に得た自由を照らし、他者にもその光を与える」という
“普遍的・永続的自由”の象徴なのです。
つまり、
前者は闘争と革命、
後者は教育と啓蒙の象徴
として設計されているのです。
では、ドラクロアの絵がニューヨークの自由の女神像のモデルとなったのか?
と思う方が多いようですが、
答えは「直接的なモデルではないが、影響は否定できない」といえるのではと思います。
ニューヨークの自由の女神像を設計したのはフランス人彫刻家フレデリク・オーギュスト・バルトルディですが、
彼もまたドラクロアの『民衆を導く自由の女神』に深く感銘を受けた芸術家の一人でした。彼は、同じ「自由」というテーマを扱いながら、
武器や戦闘ではなく“文明と理性による自由の普及”という新たな理想を掲げたのです。
加えて、19世紀後半のフランスは、帝政から共和政へと移り変わる中で、
国家としての「理性的な自由」の理念を国際社会に発信しようとしていました。
アメリカという新しい共和国との友好の証として贈られた自由の女神像は、
まさにフランスの共和主義と国際主義の象徴でもあったといえるのです。
したがって、ドラクロアの自由の女神とニューヨークの自由の女神は、
同じ「自由の擬人化」という起点を持ちながらも、
異なる歴史的文脈と政治的目的のもとに誕生したと言う事なのです。
ドラクロアのマリアンヌが「革命の自由」を、
ニューヨークの像が「文明と啓蒙の自由」を象徴するという違いは、
まさに時代と国家の理念の差異そのものといえるのではと思います。
我々がこの二つの女神を見比べる時、単なる芸術作品や観光名所としてではなく、
「自由とは何か?」を深く考えるための貴重な問いかけとして、心に留めたいものですね。
では
何故フランスはこのように自由に対して固執していたのか???
の話は、、、
明日へ続く、、、。