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社長&顧問ブログ

2025.4.5

花は桜木男は早稲田

高光産業株式会社

妹尾八郎です。

 

昨日までは キリスト教とイスラム教の違いの話しでした。

バチカンの話しから宗教の話に続いています。

まだまだ興味深い話があるのですが、

今日は 一旦話題を変えた話になります。

 

今は桜のシーズンで 入学式のシーズンでもあります。

私が慶應大学に入学した時 最初に経験したのが 六大学野球 早慶戦の応援でした。

その時の話になります、、。

 

ある日、春の神宮球場に足を運ぶと、

六大学野球の伝統の一戦「早慶戦」が繰り広げられておりました。

その熱気に包まれる中、早稲田大学側の応援席に掲げられた一枚の看板に目を惹かれたのです。

そこには、「花は桜木 男は早稲田」という文字が大きく書かれていたのです。

その堂々たる主張に思わず目を奪われて

この言葉の元ネタを調べて見ますと、本来は「花は桜木 男は武士だったのです。

 

これは日本の古い格言であり、

美意識と武士道精神を象徴する言葉として知られている言葉だったのです。

この「花は桜木 男は武士」という言葉は、

花の中では桜が最も美しく、男の中では武士が最も立派であるという価値観を簡潔に表現しており、日本人が古来より大切にしてきた「潔さ」や「誇り高さ」を反映している言葉なのです。

 

桜は短命でありながらも満開の美しさを誇り、やがて潔く散っていくその姿が、

まさに武士の生き様と重なることから、この表現が生まれたとされています。

 

出典については明確な一点に定まっているわけではにそうですが、

最も有力な説としては江戸時代の作家・井原西鶴による『武家義理物語』の一節に

その原型が見られるとされているそうです。

また講談や落語などの庶民文化の中でも繰り返し使われ、広く人々に親しまれ、

明治以降の文人や思想家もこの言葉を好んで引用し、

日本人の精神的アイデンティティとして定着していったのです。

 

そうした背景の上に成り立つこの言葉が、

なぜ早稲田大学の応援に用いられているのかというと、

それは早稲田という大学が持つ気風と密接に関わっているとの事でした。

 

明治時代に創設された早稲田大学は、自由闊達、進取果敢な校風を掲げ、

多くの優れた人物を社会に輩出してきました。

その中にはまさに「武士」に匹敵するような志と行動力を持った人物が多く、

そうした誇りを表現する言葉として、

「男は武士」を「男は早稲田」と置き換えたフレーズが応援文化の中で定着していったと考えられるようです。

 

この表現は昭和の頃から既に使われており、単なる洒落や冗談ではなく、

早稲田人の誇りと自己認識を象徴する言葉として浸透してます。

 

早慶戦という場において、こうした言葉が掲げられることには深い意味があり、

スポーツ応援を超えて文化的な継承の意義が込められているのであることが分かりました。

 

日本の伝統美と大学への誇りが交差するこの言葉には、

表面的な応援フレーズを超えた精神性が宿っており、

神宮球場でこの言葉に出会った際には、

その背後にある歴史や文化の重みを感じて頂きたいと思います。

日本人の美意識が凝縮されたこの一文に、

時代を越えて共鳴する何かがあることに気づかされるとおもいます。

 

この桜 潔く散って行くさまが 戦争でも使われるようになりました。

 

散る桜残る桜も散る桜 と言う言葉を耳にした事があるかもしれません。

 

明日は

この桜に纏わる話に

続く、、、、予定、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

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