
EXECUTIVE BLOG
2025.11.9
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは 朝倉文夫の師匠の高村光太郎の話しでした。
かれら含めて
先日から続いてる 横山大観 岡倉天心など多くの芸術家が活躍した街として
東京都台東区谷中が有名です。
私もこの谷中で産まれ育ち 今も週の半分は この谷中で生活しています。
今日は 少し話がそれで
我が町芸術の香りがする 谷中の話になります、、、。
東京の下町、谷中は、
江戸時代から寺院と庶民の生活が共存してきた独特の雰囲気を持つ町です。
坂の多い地形や細い路地、木造家屋が並ぶ街並みには、どこか懐かしい空気が漂い、
時代が移っても人々の暮らしと文化が息づいています。
そんな谷中が「芸術家の町」と呼ばれるようになったのは、明治時代以降のことでした。
上野に東京美術学校、現在の東京藝術大学が設立され、
そこに集まった芸術家たちが近くの谷中・根津・千駄木に
住居やアトリエを構えたことがきっかけでした。
静かで落ち着いた環境、庶民の温かさ、そして何よりも創作に集中できる雰囲気が、
この地を多くの芸術家たちにとって理想の場所にしたのです。
岡倉天心はその代表的な存在であり、
彼は日本美術の近代化を目指して東京美術学校の創設に尽力しました。
日本の美を西洋の影響から守り、伝統と革新を融合させる思想を持っていた天心は、
この地で若い芸術家たちを育てました。
彼の思想は弟子の横山大観に受け継がれ、
大観は谷中にアトリエを構えて新しい日本画の表現を探求しました。
大観は「朦朧体」と呼ばれる、線をぼかして情感を重視する独特の画法を確立し、
日本画の近代化に大きな足跡を残しました。
その彼の師である岡倉天心の精神は、
「日本人としての美意識をどう表すか」という問いとして、後進たちに深く刻まれました。
一方、彫刻の分野では高村光太郎とその弟子である朝倉文夫が
この地に芸術の礎を築きました。
高村光太郎は、父の光雲から受け継いだ木彫の技術をもとに、
ヨーロッパで学んだ近代彫刻の思想を取り入れ、
「形ではなく心を刻む」彫刻を追求しました。
その精神を引き継いだのが弟子の朝倉文夫であり、
彼は谷中に壮大なアトリエ兼住居を構えました。
現在「朝倉彫塑館」として公開されているその建物は、
彫刻・建築・庭園が一体となった空間で、
光や風や水の流れを感じながら創作に没頭できる設計になっています。
ここで朝倉は数々の作品を生み出し、
後に戦後最初の文化勲章を受章するほどの評価を得ました。
彼が猫を愛し、数多くの猫の彫刻を残したことから、
谷中が“猫の町”として知られるようになったともいわれています。
谷中の芸術文化の魅力は、
こうした芸術家の創作と町の暮らしが溶け合っていた点にあります。
芸術家たちは特別な存在として隔離されるのではなく、
日常の中に生きる人として町の人々と関わり、
そこから創作のインスピレーションを得ました。
路地裏を歩けば、木製の看板や古い塀の向こうから、
どこか昔の時代の息遣いが聞こえてくるようです。
人々の生活の中に芸術があり、芸術の中に生活があったのです。
岡倉天心、横山大観、朝倉文夫、そして平櫛田中など多くの芸術家が
この地で切磋琢磨しました。
彼らは互いに刺激を受け、時には議論を交わしながら、それぞれの芸術を磨いていきました。
その空気は今も谷中の町並みに残っています。
特に谷中霊園には、岡倉天心、横山大観、高村家、朝倉文夫ら多くの芸術家の墓所があり、この地がいかに日本近代美術の中心であったかを物語っています。
また、谷中は古くから職人の町でもあり、
漆工、金工、染織などの工芸技術が発達していました。
そのため、芸術家たちは純粋な芸術だけでなく、
職人の技や生活の知恵にも触れ、作品に「生活の美」を取り入れていきました。
たとえば、彫刻家の朝倉文夫は「美は生活の中にある」と語り、
庭の設計や建物の構造にまで美を追求しました。
画家たちは四季の風景や町の人々を題材にし、
彫刻家は町の猫や子どもたちをモデルにして命のぬくもりを刻みました。
こうした“暮らしと芸術の融合”こそ、谷中の芸術文化の真髄といえるでしょう。
戦後、この地は戦火を免れたこともあり、昔ながらの町並みが残りました。
そのため、多くの若い芸術家や写真家、作家たちが再び谷中に魅了され、
昭和から平成にかけて新しい創作の場として注目を集めました。
現在も谷中・根津・千駄木一帯、いわゆる「谷根千」エリアには、
ギャラリーや工房、アートカフェが点在し、
かつての芸術家たちの精神を受け継いでいます。
「芸工展」と呼ばれる地域型のアートイベントも開催され、
地元の商店や古民家が展示の舞台となり、町全体が美術館のような雰囲気になります。
そこには、
明治から続く“町と芸術がともに生きる”という谷中らしい文化が今も息づいているのです。
谷中は単なる観光地ではなく、過去の芸術家たちの息吹が今も感じられる
「生きた芸術の町」です。
岡倉天心が夢見た日本の美、
高村光太郎と朝倉文夫が追い求めた生命の芸術、
横山大観が描いた自然と人の調和、
それらすべてがこの町の空気の中に残っています。
夕暮れに「夕やけだんだん」の階段から町を見下ろすと、遠くの空が茜色に染まり、
かつての芸術家たちが
同じ空を見上げながら創作に思いを巡らせていた姿が目に浮かぶようです。
谷中は、過去と現在が静かに寄り添い、芸術と暮らしが共に息づく、
日本でも稀有な文化の宝庫なのです。
是非谷中に お越しください、、、。