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社長&顧問ブログ

2021.10.28

芸術の都はパリ?

高光産業株式会社 妹尾八郎です

昨日からの続きです。

 

昨日までは 日露戦争の話から

そこに纏わる話や

広瀬中佐の話に飛び 彼の銅像が かつて存在した 万世橋駅前に

あった事や その 駅が何故廃駅とされてしまったのか??

そして その駅が 有った 万世橋の謂れから その橋に 謎の

地下室があるのですが いまだに その存在の理由が分かっていないのです。

 

今日は 存在理由が諸説ある中 いくつかの説を紐解いてみようと思いましたが

 

話は いきなり 逸れまして

 

昨日でしたか 文化勲章か功労賞の話がニュースで やってまして

我が敬愛する 長嶋茂雄氏の事も取り上げられていました。

 

彼のかつての活躍ぶりを書き出すと 又 大きく話が逸れてしまいますので

今日は

何故 芸術の秋と呼ばれるようになったのか??

とか

芸術の都パリ と良く表現されますが 何故 パリが芸術の都なのか? と

興味を持ったのです。

芸術では それこそ 大昔であれば アテネだったり ローマだったり考えられると思いますし

現在であれば ミラノなんかも ファッション芸術の街ではと思います。

 

世界中の 絵描きや作家等の多くの芸術家がパリを目指して今でも行ってます。

 

 

その中でも、アートの歴史で振り返ってみますと

そもそも

ギリシャ・ローマあたりに大きな芸術が開花するタイミングがあり、

その後、ルネッサンスが開花し、

文化の中心地がフランスへと移行していきました。

この

フランスがイギリスとかではなく 何故、芸術の、文化の中心地に移行していった背景には、

どのような理由がったのか???

 

当時のイギリス・ロンドンは、ヨーロッパ最大の人口を誇る都市であり、

ご承知の通り産業革命がもっとも早く起こった場所でした。

 

しかし、イギリスには芸術の面で特筆すべき人はあまりいませんでした。

 

では、イギリスよりもフランスで文化が花開き、

花の都・パリになったのはなぜでしょうか?

それは、

「フランスがカトリックだったから」と言われています。

 

パリ以前に文化が花開いていたのは、

ヴァチカンを擁するイタリアだったのです。

 

いつの世も、お金が集まるところに、芸術がわかる人たちが集まります。

当時、カトリックは莫大な権力とお金を持っていました。

 

当然、一流の芸術を見抜ける審美眼を持った人々もこの場所に多く集まっていたのです。

 

 

 

このように、カトリックと芸術文化は切っても切れない仲だったのです。

それでフランスは、イタリアの芸術を模範として、

イタリアに芸術家を多く派遣して、

美の基準を芸術大国イタリアから学んでいったのです。

 

その結果、「フランスの保守的な芸術界」が構築されていったのです

その芸術界は お金持ちが集まってサロン化して行ったのです

この「サロン」を頂点とする機構は、その後19世紀半ばまで、

世界中の芸術家たちにとって切っても切り離せない

「芸術の頂点」だったのです。

 

フランスの文化的な伝統は、19世紀末には、パリ改造やエッフェル塔の建設などにより、

「ベル・エポック」(良き時代)として、世界の文化の中心となって行ったのです。

 

金持ちが居るから そこでパトロンを見つけるために 多くの芸術家がパリに

行ったのでしょうか?

 

これだけではないでしょうが

 

では 誰がパトロンで どのように芸術が発展していったのか???

 

それは???????

 

明日に続く、、、、。

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