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社長&顧問ブログ

2025.5.5

落穂ひろい

高光産業株式会社

妹尾八郎です。

 

昨日までは ゴッホを世に出した 三人の話しでした。

 

なかなか芸術の話しから抜け出せませんが

今日は ゴッホ達が活躍した時代より少しまえの画家の話に進みます、、、。

 

 

普段絵を見る機会は殆どない私ですが、

ある時に美術館で出会った一枚の絵がありました。

それはジャン=フランソワ・ミレーの代表作《落穂ひろい》でした。

 

大地に身をかがめ、落ちた麦を拾う三人の農婦の姿。

その光景は、一見すると、素朴で穏やかな農村の日常を切り取ったように見えたのです。

ところが、絵をじっくり眺めていると、どこか違和感を覚えるのです。

なぜか、安らぎよりも「重さ」「厳しさ」を感じさせられたのです。

 

実はこの絵には、見る人の目をすり抜けるようにして、ある「監視の目」が描かれているのです。

 

絵の右奥、少し霞がかった遠景の中。

小さく、しかし確かに、馬に乗った人物の姿があります。

周囲には集められた麦の山と、それを見張る人々らしき姿も。

この人物が何をしているのか??。と考えてみたのです、、、。

実はその小さく描かれている人物こそが、この絵に込められた「時代の影」を体現する存在であり、見る者に強いメッセージを発している事が分かったのです、、、。

 

この絵が描かれたのは1857年。フランスではちょうど産業革命が進み、

農村と都市の格差が広がっていた時代です。

農民たちは土地を持たず、貧困にあえぎながら地主の畑で働き、そのわずかな報酬で生きていました。

《落穂ひろい》に描かれた三人の女性たちは、収穫後に畑に落ちた麦を拾って生計の足しにする「落穂拾い」をしているのですが、

これも当時の法律によって厳しく管理されていた行為でした。

つまり、「拾ってよい落ち穂」にも制限があり、

それを少しでも越えると「窃盗」と見なされてしまうのです。

絵の奥で馬に乗って見張っている人物は、まさにその「監視人」だったのです。

 

ミレーはこの絵において、

単なる農村の風景や労働の美しさを描こうとしたのではない事が分かりました。

彼の意図は明確に、「社会の不平等」や「労働者の苦しみ」を伝えることにあったのです。つまりこの絵は、あくまで写実的な手法を使いながらも、

非常に鋭い社会批判を含んだ作品だったと言う訳なのです。

 

実際、発表当時のフランスではこの絵に対して賛否両論が巻き起こったそうです。

上流階級の人々からは、

「貧しさを称えるような絵」「不穏な階級意識を煽る絵」として批判されもしました。

 

一方で、民衆の中には

「我々の姿がようやく絵の中で描かれた」と感動する人も多かったのです。

ミレー自身は裕福な画家ではなく、農民出身でした。だからこそ、農村の厳しさを美化せず、しかし同時に尊厳をもって描きたかったのです。

 

ではなぜ、ミレーはわざわざこの「監視人」を絵の中に小さく、遠景に描いたのでしょうか?

 

そこにこそ、彼の「静かなる抗議」があったのです。

真正面から監視人を大きく描いてしまえば、絵全体が「支配と抑圧」を強調する暴力的な印象になってしまうでしょう。

しかし、遠くから静かに見下ろすように描かれたことで、

私たちはじわじわとその存在に気づき、不穏な気配を感じ始めます。

この控えめな描写が、むしろ強烈な社会の現実を浮かび上がらせると言う事になるのです。

 

また、画面手前の三人の女性たちは、

互いに目を合わせることなく、ただ黙々と麦を拾っています。

そこには連帯も喜びもなく、ひたすら生きるための行為としての「労働」があるのみです。

 

彼女たちの背中には疲労感が漂い、腰をかがめる姿勢は「屈服」とも読めるかもしれません。まさに「生きるために頭を下げる」

そんな切実さが、この画面全体に満ちています。

 

このように《落穂ひろい》は、パッと見では分からない深い意味を内包した絵画なのです。写実的に描かれているがゆえに、見逃してしまう人も多いかもしれません。

しかし一歩踏み込んで見てみると、

そこには19世紀フランスの社会構造、人間の尊厳、そしてミレー自身の信念と祈りが静かに確かに刻み込まれています。

 

私たちはつい、絵の美しさや技法、色使いばかりに目を奪われがちです。

しかし本当に大切なのは、

「作者が何を伝えたかったのか」に心を向けることではないでしょうか。

そしてそれは、印象派でも抽象画でも同じことが言えると思います。

 

見た目に分かりやすくなくても、

その奥にある「言葉にならない叫び」や「静かな願い」に耳を澄ませることで、

絵はぐっと身近な存在になるのだと思います。

 

ミレーの《落穂ひろい》は、単なる農村風景の記録ではありません。

それは「見られることを前提とした社会の構造」、そして「生き抜く人間の尊厳」を描いた、静かなる社会へのメッセージです。

 

今後美術館に行った時には絵画が語りかける声に、耳を傾けて見ようと思います。

 

他にも同様な絵があるのか????

等の話は

 

明日へ続く、、、。

 

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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