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社長&顧問ブログ

2022.9.2

西郷さん

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは 明治維新に関する話でした。

世界の歴史を見ても

勝者の都合の良いように 歴史上の出来事を書き換えているようです。

 

大悪人でも 戦争が勝った事で 大英雄に仕立て上げらえれた人も多く居るのでは思います。

 

例えば 昨日書いた 西郷隆盛も 今では 大英雄として人気を博していますが

明治維新の時 かなり したたかな人間ではなかったのか? と思う節もあります。

 

それは 戊辰戦争の際 山形を攻めた薩摩軍は 荘内藩が降伏した後は

長州藩が会津に行ったような厳しい扱いをせず

戦いが終わった以上は 同じ日本人として仲良くしようと言う感じで接したそうです。

 

これには 山形の人々は感激し この采配は 西郷さんの指示だと思い

西郷さんに尊敬の念を抱く事になるのです。

 

この事は 後に 山形に 西郷神社がある事でも理解できると思います。

もし 彼が人格者と思われていなかったのであれば 神社で神として

祀られるはずが無いからです。

 

そして 西南戦争後 西郷さんが 政府の敵と思われていた時には

山形の人々が 全国に 西郷南洲遺訓を携えて 西郷さんは素晴らしい人である事を

説いて回ったのです。

 

それほど 山形の人々にとって西郷さんは神様みたいな存在だったのです。

 

しかし 山形攻めを行った時に 西郷さんは本当にそう考えていたのでしょうか?

 

荘内藩は 殿様が酒井家で 徳川四天王の一人です

この酒井家が 幕末に 幕府から入封を命じられた時に 幕府の命令に従わず

荘内にとどまったと言う事がありました、

幕府に楯突く事など 江戸時代ではあり得ない事で

もし そのような事があれば 即お家断絶の沙汰が下ったのです。

 

福島正紀が 幕府に届もせず 城の改修工事を行ったと言うだけで

お家断絶に追い込まれた事があったくらい

幕府の命令は絶対だったのです。

 

それを この土地に留まりたいとの いわゆるわがままを

幕府は許してしまったのです

 

この辺りから かつての絶対的権力を持つ幕府ではなくなり

幕府弱体化のきっかけを作ってしまったのです。

 

又 江戸総攻撃を行える口実を 本意では無いでしょうが 荘内藩が薩摩藩邸を燃やし

西郷さんに江戸総攻撃の口実を与えてしまったのです。

 

当然 これらの事は 西郷自身も知っていたはずです。

 

それで 山形攻めで 荘内藩が降伏した時に

ある意味 山形庄内藩のおかげで 倒幕が出来たと 西郷さんは思ったのかもしれません

 

これ以上 ある意味 恩のある山形を苦しめたくないと言う

気持ちが 西郷さんの心のどこかにあったかもしれませんね

 

と勝手に私は解釈していますが

 

きちんと日本史を研究している方からすれば

なんと馬鹿な事と言われるかもしれませんが

 

このような妄想をすることで 歴史も楽しめるのではと思います。

このあとの西郷さんは 征韓論を唱えたり 西南の役で 反乱軍となってしまうのですが

 

そのあたりについては又機会をみてという事になります

 

さて 先日からの続きが 全く続いていませんが

 

明治維新を戦い抜いた 明治の指導者 軍人達はある意味

賢かったと思いますが

 

連戦連勝で負け知らずの事しか知らない 昭和の軍人たちは

その後 神の国の日本が負ける事などありえないと思い込み

太平洋戦争に突入する事になるのですが

 

この事を深く危惧していた明治の軍人がいたのです

 

その軍人とは????

かれは 何を危惧していたのか????

 

それは?????

 

明日に続く、、、、、。

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