EXECUTIVE BLOG
2019.11.2
高光産業株式会社 妹尾八郎です。
昨日からの続きです
実際は 10月16日のブログの続きに戻らなければなりませんが
話が逸れに逸れてしまって
昨日までは 山形でのラーメン屋さんでの出来事の話。
しかも それが ITでもなんでもない話で 博多弁を山形で喋ってて
大笑いされた話なんてところまで飛んでしまいましたね。
本来は 私が IT音痴であったのを 非常識な考えを行い
そこで 奇跡的な出会いを繰り返し ビジネスモデル特許を複数取得するまでに
なって言う話を進めなければならいのですが
非常識な考えから なぜか話は関ヶ原の戦いに飛び
そこで 薩摩藩が奇想天外な 敵中突破で退却をすると言う話から
薩摩藩の話となってしまっていたのです
そして
薩摩の英雄の 西郷隆盛の神社が 私が博多弁で大笑いされた山形の地に
あると言う話につながって行くのです。
ITへの道へはしばらく戻れそうにありませんが
何故 山形に 西郷神社があるのか??
薩摩人の神社が遠く離れた山形庄内藩の地の中にあるのは
不思議ですよね。
これは もちろん 明治維新に関係します
少し官軍の薩摩藩と幕府軍の庄内藩の関係を見てみましょう。
会津藩降伏後も最後まで唯一抵抗した藩だったのです。
②庄内藩は薩摩藩邸を焼き討ちしている
③庄内藩は最終的に官軍に降伏したものの
それまでの経緯から戦後の沙汰は厳しいに違いない
④と、予想したにも関わらず新政府の処分は軽かった
⑤その判断を下したのが西郷隆盛と判明
⑥庄内藩は恩義に感じると共に西郷の度量に感服し
藩主自ら鹿児島に留学して指導を受けるなど
藩全体が西郷を師と仰ぐ敬意とあこがれが生まれ
その後、交流が始まる
⑦南洲神社はそのパイプ役となって
自身も西郷隆盛と兄弟のように交流を深めた
藩の役職者 菅実秀(すげさねひで)公と
西郷隆盛公の二人を合祀している
ということでした。
いやー、面白い。とても面白いですね。
要するに、敵方ではあったものの
庄内藩の人達は隆盛に惚れたんですね。
しかし 実はその裏には 西郷隆盛の陰謀が見え隠れするのですが
それは 何か??
明日へ続く。