
EXECUTIVE BLOG
2026.2.7
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは 森有礼の話しでした。
森有礼は、なぜ殺されたのかの話に進みます、、、。
明治日本の近代化を語るとき、必ず名前が挙がる人物がいます。
それが、初代文部大臣を務めた 森有礼 です。
彼は、日本の教育制度を根本から作り替え、
西洋の合理的な考え方を取り入れようとした人物でした。
しかし、その改革の途中で、森は暗殺されてしまいます。
事件が起きたのは、1889年(明治22年)2月11日。
日本国憲法が発布された、まさにその日でした。
東京で行われていた憲法発布を祝う式典の最中、森有礼は一人の男に短刀で刺され、
その日のうちに命を落とします。
森を殺した実行犯は、西野文太郎という人物です。
西野は熊本県出身で、士族の家系とされますが、官僚でも学者でもありません。
政治団体の指導者でもなく、世の中に強い影響力を持つ存在ではありませんでした。
いわば、強い思想を胸に抱え込んだ、一人の民間人でした。
では、西野文太郎は、なぜ森有礼を殺したのでしょうか。
その理由は、金銭でも私怨でもありません。
最大の原因とされているのが、
「伊勢神宮不敬」と受け取られた森有礼の思想でした。
森有礼は、天皇や神道を否定した人物ではありません。
しかし彼は、神道や皇室を「絶対的な神聖領域」として扱う考え方には
距離を置いていました。
天皇を、近代国家における「国家の元首」として位置づけ、
宗教と政治、教育は切り分けるべきだと考えていたのです。
この考え方は、現代の私たちから見れば、決して過激なものではありません。
しかし当時の日本では、伊勢神宮は国家精神の中心であり、
天皇は神聖不可侵の存在でした。
森の合理的な姿勢は、
「神宮を軽んじている」「皇室を冒涜している」と受け取られてしまったのです。
特に、西野文太郎のような尊皇思想の強い人々にとって、
森有礼は「日本の国のあり方を壊す危険な人物」に映りました。
西野は、
「森は伊勢神宮を軽んじ、日本の精神を汚した」「このままでは国が壊れる」
と強く信じ込むようになります。
こうして彼は、「義憤」に駆られ、単独で犯行に及びました。
取り調べでも、西野は自分の行為を正義だと考えていたことが分かっています。
つまりこの事件は、個人的な感情ではなく、思想の違いによって起きた殺害でした。
では、この暗殺事件に黒幕はいたのでしょうか。
結論から言えば、明確な黒幕や組織的な指示があった証拠はありません。
西野文太郎は、誰かに命令されたわけではなく、
自分自身の考えだけで行動したとされています。
ただし、見逃してはいけないのは、当時の社会の空気です。
森有礼に対しては、新聞や言論の場で「
不敬な官僚」「危険な欧化主義者」といった批判が繰り返されていました。
そのような空気が、西野の過激な行動を後押ししたことは否定できません。
森有礼の暗殺は、日本で初期に起きた政治的テロの一つとされています。
そしてこの事件は、
日本が「神聖な国」から「近代国家」へと変わろうとする中で、
古い価値観と新しい価値観が激しくぶつかった象徴的な出来事でした。
近代化は、単なる制度改革ではありません。
人々の心のあり方、信じてきた価値観そのものを揺さぶります。
森有礼の死は、その痛みを、日本が真正面から受け止めきれなかった時代の影を、
今に伝えているのです。