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社長&顧問ブログ

2021.12.18

討ち入り迄の謎

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

昨日からの続きです。

 

昨日までは

12月14日が 赤穂浪士討ち入りの日でしたので

それに纏わる話でした

 

討ち入りをした事実は知っていても

何故そうなったか? の 話が 昨日からの続きです。

 

浅野内匠頭がなぜ刃傷事件を起こしたのか、その動機は不明で、諸説あすのです。

 

浅野が吉良を斬りつけた際にそばにいて、

浅野を取り押さえたという梶川頼照は、

「この間の遺恨おぼえたるかと叫んで斬りかかった」という記述を残しています。

 

事件後に取り調べを受けた浅野自身も、

「幕府に恨みはなく吉良に私的な遺恨があり刃傷におよんだ」

と証言しているので、

2人の間に何かしらの遺恨があって事件が起きたということがわかります。

 

詳しい理由がわかっていないのは、

大事な儀式の日を血で汚されたことに激怒した徳川綱吉が、

浅野を即日切腹にしてしまったからのです。

 

一方の吉良も取り調べを受けましたが、

「浅野に恨まれる覚えはない」

と言っているため、真相は永遠の謎になっているのが本当の話です。

 

ドラマの中で描かれている話によりますと、

2人の関係が歪んでいったのは、

浅野が江戸城の接待役に任命されてからのようです。

彼はまだ30代なかばの若い殿様で、古いしきたりなどはよくわかっていませんでした。

そこで当時60歳を超えていた指南役である吉良に、教えを求めたのです。

 

ところが吉良はとても意地悪で、とにかく意図的に浅野を困らせました。

それは

明日までに畳を何十畳用意しろだとか、来ていく服をわざと違うものを教えたりだとか…その度に右往左往する様子が小説などでも描かれています。

 

彼がこんなに意地悪をする理由は、

浅野が吉良に払った賄賂が少なかったからだともいわれています。

 

とにかく、吉良の嫌味な振る舞いの度が過ぎ、我慢ならなくなってしまった浅野が持っていた短刀で、江戸城の廊下を歩いていたところを斬りつけたのではないでしょうか。

 

 

それでは、なぜ赤穂浪士たちは討入りをしたのでしょうか?

 

江戸城での刃傷事件を受けて、浅野家は断絶、領地は召し上げられます。

その結果、300人あまりの藩士と800人の足軽およびその家族が路頭に迷うことになるのでした。

 

赤穂藩筆頭家老の大石内蔵助は、

「喧嘩両成敗」として吉良も処罰することを訴えながら、

浅野家の再興に奔走します。しかしこの願いはどちらも叶わなかったのです。

 

しかし彼らには武士の面目があります。

志の固い浪士たちは江戸での極貧生活に耐え、偽名を使い、

さまざまな職業に就きながら吉良邸の探索をします。

たくさんいた同士は50名ほどになってしまいましたが、討ち入りの計画を立てていました。

そして

資金が底をつきそうになったある時、

吉良邸で茶会が開かれる噂を聞き、12月14日に決行されたのでした。

 

「たとえ成功しても死罪は免れないが、それでも実行しなければ人として成り立たない」

という武士の心情が彼らを突き動かしていたのです。

 

この 義理堅い日本精神が後々まで語り継がれているので

今も尚 泉岳寺には多くの方が 志士たちの墓にお線香を手向けているのですね

 

そして

 

いよいよ

先日からの続きとなりますが

私が 彼らの切腹現場に行った時の話へと

展開するのです。

 

そこで

一体何が起きたのか?????

 

それは??????

 

 

明日に続く、、、。

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