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社長&顧問ブログ

2021.6.16

話は沖縄へ、、。

 

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

昨日からの続きです。

 

昨日までは コンテンツの重要性の話から

中小企業がなかなかキラーコンテンツを持てないために

サイトへ多頻度にアクセスさせられない事

又 本当にサイトに何度も訪れさせたい人が来てくれず

逆に見てもらう必要もない業者からの問い合わせが殺到してしまうと言う話で

これを 解決できるあるビジネスモデル特許を取得したと言う話でした。

本来であればこの続きを書かなければなりませんが

話が一旦逸れてしまいました。

 

私は日頃、出来ない事を出来ないと嘆くのではなく どうすれば出来るようになるかを

考える癖をつける必要があると考えていて

その為には 常に頭を柔軟にしておく必要があると思い行動しています。

そして その訓練の一環として何にでも興味を持つこと 常識を常識だと

考えず非常識的発想も必要だと思うようにしているのです。

 

それで 普段の散歩の時も ただ 漫然と歩くのではなく

建物一つを見ても その建物が持つ意味を考えたり

居酒屋さん等のお店が目に入った時には その店の名前は 何故このような

名前にしたのかとかを考えながら歩いているのです

 

そうして 散歩の時に見つけたあるモノに興味を惹かれることになるのですが

これは 太平洋戦争に関係する話なのです。それが何かは後ほどという事で

太平洋戦争で6月と言えば 思い出すのが 1945年6月の 沖縄での出来事です。

 

我々は 終戦の日と聞けば 「ああ それは 8月15日でしょ」 「天皇陛下が終戦祈念日に平和を祈念する姿を毎年見ます。」 と言う方が大半ですね、、

 

しかし 沖縄では終戦記念日は6月23日だと言われています。

 

沖縄では、8月15日は 既に戦闘は終わっていて 人々は米軍占領下の中 普段通りの生活を始めていたのです。

つまり、沖縄の終戦記念日とは、組織的な抵抗が終わった昭和20年6月23日を事

実上の終戦記念日と捉え、平和を祈念し「慰霊の日」としているのです。

 

昭和20年6月23日は沖縄守備軍の牛島司令官と長参謀長が自決し、

沖縄における軍令体制が消滅した日なのです。

 

それで沖縄県が1974年に「慰霊の日」として制定し、

以後「慰霊の日」は沖縄県民にとって、かけがいの無い日となっているのです。

 

8月15日には、沖縄では日米の軍事戦闘はほぼ収束し、

アメリカ政府による占領政策が施行され、沖縄本島の県民は平穏を取り戻しつつ有っ

た時期でしたので、

8月15日を終戦と呼ぶには沖縄県民の実感からは遠いのだと思います。

 

しかし、終戦末期には 沖縄は島全体が戦場になってしまい 多くの民間人が犠牲となりました。

アメリカ軍の火炎放射器によって、洞窟に避難していた民間人の多くの方が焼き殺されてしまったのです。

原因は、民間人の避難所に日本軍の将兵が入り込んできたためと言われています。

 

1945年4月1日から始まった沖縄本島への米軍の侵攻は、わずか2ヶ月で

6月18日には、日本軍から解散命令が出るに及び、行き場を失った民間人の人たちは、

多くは自決、戦死、負傷などにより、多くの犠牲者を出しました。

 

戦闘が終わりアメリカ兵が投降を呼びかけても、

多くの人が当時の「戦陣訓」に従っていて その中に書かれている一項目の

「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」

という教育に洗脳されてしまっていて 多くの人が自らが死を選ぶ結果となりました。

 

今となっては、ずいぶんとむごい事を強要したものだと思います。

 

そして この後悲劇が

ひめゆり学徒隊で起きてしまうのです。

ひめゆり学徒隊の言葉は一度は耳にしたかと思います。

 

そのあまりに悲しく理不尽な話とは、、、

 

それは

 

明日に続く、、、。

 

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