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社長&顧問ブログ

2024.11.8

識字率

高光産業株式会社 妹尾八郎です

昨日からの続きです。

 

昨日までは 流行語の話から 文化の日の話になっていました。

 

しかし 調べてみますと面白いもので 清少納言の時代から

言葉が乱れていたというのは面白いですね

 

乱れた言葉でも 長く使われていれば それが正当な言葉になってしまうのでは

と思います。

 

日本文学や日本史 特に 平安時代とかになるとあまり分かりませんで

 

清少納言と紫式部の違いすら分かりませんでした

 

紫式部を描いているのが 今のNHKの大河ドラマなんですよね、

 

そのドラマは見てないので分かりませんが 清少納言は出てこないと思います。

 

私は 同じ時期の人物かと思っていましたが 清少納言の方が少し時代が早いんですね

 

まあ どちらも宮廷につかえていた事には間違いありませんが、

 

あの時代に文学が有って、学校も無い時代に 字が読める人が多数居た事には驚きます。

 

又 調べて書きますが 江戸時代末期 幕府を非難するような書き物が出回った事が合ったそうなのですが

 

それを見た欧米人は 多くの庶民が字を読める事に驚いたそうです

 

当時の欧米では 識字率が1パーセントくらいだったようで 殆どの庶民は文字が

読めなかったと言われています。

 

前にも書いていて途中になっていましたが

 

ザビエルが日本に来た本当の目的は 植民地化政策の一環だったと聞いています。

 

単に キリスト教を布教するだけでなく それにより占領政策を推進しようとしたようなのですが

日本人の識字率の高さに驚き これでは簡単に 植民地化出来ないと判断したというのです。

 

同じ様に 戦後 占領軍であるGHQが 日本語のローマ字化を検討したそうなのですが

識字率が高いと判断して それは諦めたという話があります。

 

 

ただ平安時代には まだ 寺子屋もないので 文字の読み書きが出来たのは

貴族や宮廷につかえている人に限られていたのではと思いますね

 

日本では、6世紀から7世紀にかけて、中国大陸や朝鮮半島から儒教、仏教、道教を取り入れ始めました。

こうした思想や宗教を摂取するためには、漢文で書かれた書物を読む能力が必要になりました。

7世紀には、隋や唐からの帰国者や、大学寮で明経道を学んだ人々も含め、

識字層が広がっていったとうです。

 

そう考えますと 清少納言の時代が 西暦1000年頃ですから

漢字が伝わり出して400年後と言う事になりますので

 

その間に いろいろ文字出来てきて 識字率も高まって行ったのではと思います

 

こういう長い伝統を 考える日が 先日の文化の日だったんですが

そもそもは 明治天皇の誕生である 天長節の日でしたが

 

占領軍の政策で この日を文化の日に替えてしまったのですね、

 

と 話がずっと逸れてしまいましたが

明日は その明治天皇に関する話に戻ります。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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