EXECUTIVE BLOG

社長&顧問ブログ

2023.4.17

谷中真島町

 

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日は 地名の由来を興味を持ってみてみると

色々な事が分かって面白いと言う話でした。

 

福井の方にしては 当然のこの地名も

元々は 北の庄だったのを 縁起が悪い名前だと言う事で

城の中にあった 福の井と言う井戸から付けた地名だと言う事なのです。

 

当たり前の事を当たり前と思わず興味を持つことで 新しい事が見えて

面白さが倍増します

 

昨日お聞きした話ですが

東京都大田区は 最初は大森区か蒲田区にするかで争っていたようですが

折衷案で 大田区になったというのです。

 

先のブログでも書いた 福岡市は もともと 博多の町で

この時もどちらの市名にするか争っていたようですが

結局は 議会の議決で 一票差で 福岡市に決定されたのです。

この時 大田区のように 争わずに折衷案が出ていれば 福多市か 博岡市になっていたかもしれませんね

 

しかし 福岡は 黒田藩馴染の福岡と 町人の町博多との争いでしたから

プライドが高い 旧藩士達が 福岡で押し切ったのでしょう。

 

このように 地名には いろいろ謂れがありますね

 

蝦夷や琉球の話に行く前に

 

私が東京で住んでいる 台東区谷中と言う街についてです。

 

これも最近まで知らなかったのですが 東京都台東区は ご承知の通り

上野や浅草がある区ですね

そして谷中は 徳川家のお墓や 著名人の墓がある所でも有名な谷中霊園があります。

 

都内でも 江戸の香り 昭和の名残がするエリアです

この台東区は 23区の中で一番面積が小さい区なのだそうです。

散歩するには適した街ではと思います。

 

それで 私が現在東京で居を構えている谷中2丁目は

住所表記が変わる前は 谷中真島町と言われていました。

 

いつの頃か 昔馴染の町名から 何丁目と無味乾燥な住所表記になってしまいましたが

当時ついていた名前から昔を知る事が出来ていたのに 何か 残念な気がします。

 

この谷中は

池波シリーズでも「谷中 首ふり坂」と作品タイトルにもなり、

鬼平犯科帳では、ひょうきんものの忠吾が活躍する「谷中いろは茶屋」など、

当時から寺町であったことを伺い知ることができます。

 

その事からの街並みもあまり変わっていないと思えるくらいに

高層住宅もなく 本当に静かな町なのです。

 

では「谷中真島町」の由来ですが

 

江戸時代末の本町一帯は武家屋敷であったそうです。

美作国(現在の岡山県)真島藩下屋敷があったのもこのあたりでした。

藩主は二万三千石を領する三浦氏で慶応の頃藩名を勝山藩から真島藩にかえたのです。

真島は美作国の郡名で、勝山はその真島郡の一地名であったことから郡名をとって真島藩に改めたものだと言う事なのです。

 

と言う事で真島藩下屋敷と周辺の武家屋敷を合併して誕生して出来た町が

谷中真島町と言う事になります。

 

私が地名をこのように見る事に興味を持ったのには ある事がきっかけでした

そのきっかけとは???

 

それらの話は

 

明日に続く、、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

次の記事へ
前の記事へ