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社長&顧問ブログ

2023.3.18

貧乏人は麦を食え!!???

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは 法律を遵守して 闇米を買わなかった 山口判事が餓死したと言う話でした。

 

戦後すぐのころまでは 闇米販売や購入は犯罪として検挙されていたようですが

私が 学生時代には 闇米は 自主流通米とかに名前を変えて売られており

それを買っても 罰せられなかったようです。

 

昭和も50年を過ぎた頃には ザル法になってしまっていたのでしょうか、、

 

少し歴史を振りかえってみますと

敗戦後、マッカーサー率いる進駐軍は日本で財閥の解体、農地改革などを進めていきました。

また多くの兵隊や開拓団などが帰国したことで食糧難に見舞われてしまい

買い出し列車に揺られ、地方に食糧の調達に出かける光景がよく見られていたのです。

 

この光景は戦後数年ですから 流石に私はこれを見た事はありません。

 

当時はコメや穀物は配給制度になっていて、政府が一律に価値を決めたのです。

 

驚くことに

当時の池田勇人大蔵大臣は「所得の少ない人は麦、多い人はコメ」というような発言したそうで、

「貧乏人は麦を食え」ということかと大きな批判が起きていました。

しかし そのくらい日本の食糧難は深刻だったという事になります、

 

その一方で、

アメリカでは保管場所に困るほど小麦の豊作が続いていたのです。

当時のアイゼンハワー政権の中で、余剰小麦の処理は重要課題であったために

有望な市場として注目されたのが日本で

日本人に麦を食べさせようと言う政策が考えられて

 

1954年、アメリカは日本とMSA協定を結ばされて、

この協定により日本の防衛力増強のほか、

アメリカの余剰農産物を日本が買うことが決められてしまったのです。

 

更には、学校給食法も制定され、

アメリカの小麦を利用したパン食の学校給食が一般的になったのです。

又、全国で“キッチンカー”と呼ばれるバスの巡回による小麦を使った料理を

推奨する無料の料理講習会も開かれていました。

 

それほどまでして 小麦の消費を上げようとしていたのです。

 

思い出してみますと

私の 小学校 中学校時代の給食は全てパンであったと思います。

 

戦後十年ほどは「先進国はパンを食べている」という西洋食への憧れもあったみたいですし

当時出版されていた本には

「白米で子どもを育てるということは、子どもの頭脳の働きをできなくさせる」

などと書かれていたそうなのです。

 

要するに 米を食べると頭が悪くなると洗脳して パンの需要を上げるように仕向けていたのではと思ってしまいます。

 

そういう事で戦後の日本では、コメ中心の食生活からパンや麺類などの小麦粉で作られたものを食べる生活へと大きく変化してきたのです。

 

しかし 当時の大臣が

「貧乏人は麦を食え」と本気で言ったのでしょうか??

 

その裏に隠された本意とは?????

 

それは????

 

明日に続く、、。

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