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社長&顧問ブログ

2023.3.3

賢崇寺

 

 

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは 二・二六事件の関する人や 場所の話でした。

 

六本木の 東京ミッドタウンがある所が 二・二六事件に加担した

歩兵第一連隊があった場所である事など 今では 殆どの方は

ご存知ないかと思います。

 

この事件は 天皇陛下が 激怒したことにより 速やかに鎮圧され

首謀者たちには 思い処罰が課せられ

多くは 処刑されました。

 

処刑された場所は 先日書いた 今のNHKセンターの前あたりの渋谷だったのですが

処刑された首謀者たちの墓は 渋谷からもそう遠くない 元麻布にあるのです。

 

その墓があるお寺は賢崇寺と言う寺です

この墓地は、広くて戦前の軍人さんのお墓が多いのです。

 

その一角の目立たない場所に、

平らな石に「二十二士の墓」と記されたお墓があります。

これだけでは何のことか分からないのですが、

卒塔婆には2.26事件関係の記載があるものが多く立てられています。

 

1936年2月26日未明に2・26事件が勃発して、

青年将校達のクーデターが2日間で未遂に終わったのは余りに有名です。

反乱軍の首謀者は陸軍・皇道派で、うち2人の大尉は自決し

残りの将校たち19人は軍法会議で死刑が宣告されて処刑されました。

 

この墓は、事件には直接関係なく皇道派に属し、前年8月に統制派の永田鉄山軍務局長を殺害して同時期に死刑が執行された相澤三郎中佐を加えた二十二士に由来するとされます。

 

何故ここにお墓があるかと言いますと

首謀者の一人栗原安秀中尉の父親が

佐賀県出身で供養する寺がないので困り鍋島藩の賢崇寺に入門し

得度して二十二士の合同慰霊祭が行われことに由来しており

戦後になって十七回忌法要の時に、この「二十二士之墓」が建立されたそうです。

 

この寺は

1635年に鍋島藩初代藩主信濃守勝茂鍋島勝茂が疱瘡で亡くした

息子の佐賀藩主鍋島家三代松平肥前守忠直を弔い建立したそうです。

魚泉正豚和尚が1655年を開山し

後に江戸における鍋島家の菩提寺となった寺です。

忠直の戒名である「興國院殿敬賢崇大居士」から興国山賢崇寺と名付けられたそうです。

 

このように 古い歴史あるお寺ですが

場所は 麻布十番のパティオ広場からすぐ近くです

このパティオ広場には 有名な 「赤い靴はいた女の子」 の銅像も建っていますね

 

何故こんな所に 赤い靴をはいた女の子の銅像があるのかは

随分前に このブログで書いていますので 遡って探してみてください。

 

実はこのお寺には

意外な人物のお墓があります

 

そしてそのお墓をよく見てみますと

お墓なんですが 帽子がかけらたデザインがされているのです

普通だと墓石は 四角いと思いますが そこに帽子が掛かったデザインなのです

 

まだ 新しいお墓ですが

 

この墓

一体だれの墓なのか??????

 

それは

 

明日に続く、、、、、。

 

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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