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社長&顧問ブログ

2020.2.25

赤い履いた女の子の話

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです

 

昨日までは

探偵ナイトスクープで見た感動の話の

玉子サンドの店が麻布十番に関係していたこと。

 

その玉子サンドを私も食べたくて麻布十番を探しまわる話でした。

 

この麻布十番はその後私のITへの道の出発点になるのですが

その話は 後に譲るとして

 

玉子サンドの店を探すうちに

 

麻布十番の中央付近にある パティオ麻布十番と言う小さい公園で

赤い靴を履いた女の子の銅像を偶然発見することになるのです

 

 

麻布十番は 私の学生時代は 東京でも一等地にあるのですが

陸の孤島と呼ばれていました。

 

それは 交通の便が非常に悪い地域だったのです。

 

昔は 日比谷線の六本木駅から歩くしかなかったので、

近所の人しか居ないような街でした。

しかし

今では 麻布十番駅も出来て 非常に人気エリアになっています。

 

その街並みを楽しむようにサンド屋さんを探しているうちに

ここで 赤い靴を履いた女の子の銅像を見つけたのです。

 

野口雨情の歌でしか知らず

実在するのかどうかも知らず 歌の通りであれば

アメリカで幸せな人生を過ごしたのかな くらいの

興味しかありませんでした。

が ここ麻布十番に何故その銅像があるのかは

最初不思議に感じました。

 

調べているうちに分かった事は。

この歌詞に登場する女の子の名は「きみ」ちゃん。実在の女の子だったのです。

明治35年7月15日、現在の静岡県清水市で生まれたそうです。

 

母の名は「岩崎かよ」未婚の母で、父親の名を明かせない私生児ということから世間の風当たりは厳しく、娘ともども開拓団として北海道の函館へ、たどり着いたのです。

母「かよ」は函館で出会った鈴木志郎と、留寿都村への入植を決意しました。

当時「きみ」ちゃんは3才。しかし、明治時代の北海道開拓は、命がけで、幼い子供を連れて行くことなど考えられませんでした。

そこで「かよ」は、当時函館の教会で宣教の働きをしていたアメリカ人宣教師・ヒュエット夫妻の養女として託すことにしたのです。

このまま養女としてアメリカに渡れば幸せな人生を過ごせたかもしれません

 

しかしそうではなかったのです。

ヒュエット夫妻が帰国する事になった時、

「きみ」ちゃんは当時不治の病とされていた結核に侵されてしまいます。

結核を発病した彼女は、船旅ができずやむなく麻布十番の鳥居坂教会の孤児院(永坂教会孤児院・現在の「十番稲荷神社」のある場所)に預けられてしまいました。

 

そして「きみ」ちゃんは、3年間の闘病生活の末、

9才というあまりにも短い生涯を終えたのでした。

明治44年9月15日の夜のことでした。

 

この話を当時新聞社にいた野口雨情が聞いたのでした。

この時の話を野口雨情は、これを詩に綴りました。

その詩に本居長世が曲をつけて完成したのが、童謡『赤い靴』なんですよ。

 

母親の「かよ」は,そんな娘の死も知らないまま,

昭和23年,「きみちゃん,ごめんね」の言葉を残して64才で他界したそうです。

 

 

「赤い靴」の女の子のモデルが明らかになったのは、

昭和48年11月の新聞の夕刊に掲載された、

『野口雨情の赤い靴に書かれた女の子は、まだ会った事も無い私の姉です。』という

投稿記事がきっかけでした。

この記事を当時北海道テレビ記者だった菊池寛さんが知り、

5年余りの歳月をかけて女の子が実在していたことをつきとめました。

 

パティオ十番の銅像は、このような不幸を繰り返さないため、十番商店街の人たちによって平成元年2月28日に作られたそうなんですね。

 

何も興味なく歩いていれば この銅像にも気が付かなったと思いますし

この感動の話も知らないままであったと思います。

 

その興味が 先ほどの 玉子サンドの話に繋がるのです

 

結局その玉子サンド屋は見つかったのか??

 

感動の玉子サンドを食べることが出来たのか????

 

その話は

 

また 明日に続く、、。

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