
EXECUTIVE BLOG
2026.2.8
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは 森有礼暗殺の話しでした、、、。
今日はその続きです、、。
明治日本の近代化を考えるとき、
森有礼の暗殺は避けて通れない出来事です。
この事件は一人の大臣が殺されたという話にとどまらず、
その後の教育勅語の制定、官僚への憎悪の構造、
さらには昭和初期の政治テロへとつながっていく、
日本近代史の深い流れを形づくりました。
森有礼は、日本の教育を宗教や家制度から切り離し、
理性と国家に基づく近代的な制度として整えようとした人物でした。
道徳は大切だが、それを神話や信仰に依存させるべきではない、
教育は冷静で合理的であるべきだという考え方です。
しかしこの姿勢は、
当時の人々が心の支えとしてきた伊勢神宮や天皇観と正面からぶつかりました。
その結果、森は「不敬」「国体を壊す人物」というレッテルを貼られ、
激しい反発の的となっていきます。
森が暗殺された後、政府中枢には大きな動揺が走りました。
これ以上、精神的な拠り所を揺さぶれば、社会は持たないという空気が広がり、
その中で生まれたのが1890年の教育勅語でした。
教育勅語は忠君孝行や家族道徳を中心に据え、
天皇を頂点とする国家道徳を国民に示しました。
これは、森有礼が目指していた世俗的で合理的な教育路線からの明確な転換であり、
言い換えれば、森の死が
「国家は精神を一つにまとめなければならない」
という方向へ日本を押し戻したとも言えます。
では、なぜ森有礼は「最も憎まれた近代官僚」になったのでしょうか。
理由の一つは、彼が妥協しなかったことです。
人々の感情に配慮して段階的に改革するのではなく、
日本が生き残るために必要なことはすぐに実行すべきだと考えました。
その姿勢は、旧士族や保守層には傲慢で危険なものに映りました。
もう一つは、森が経済や軍事ではなく、
人々の心の奥に踏み込んだ官僚だったことです。
教育や宗教、天皇観といった精神の領域は、制度以上に感情を刺激します。
ここに強烈な憎悪が生まれました。
そして森は、複雑な近代化の矛盾を一身に背負わされ、
「欧化」「不敬」「国体破壊」
という言葉を集中的に浴びる象徴的存在になってしまったのです。
この構図は、昭和初期のテロ事件とも深く重なります。
血盟団事件や五・一五事件では、
「国を正す」「天皇を守る」という名目のもと、
政治家や財界人が殺されました。
そこにあったのは、自分こそが正義であり、
不敬な人物は排除してよいという発想です。
森有礼を殺した実行犯の論理と、昭和初期の青年将校たちの論理は驚くほど似ています。
議論や制度ではなく、暴力によって正しさを示すという考え方が、
時代を越えて受け継がれていったのです。
森有礼は天皇を否定した人物でも、日本を壊そうとした人物でもありませんでした。
彼は近代国家として生き残るために、あえて嫌われ役を引き受けた官僚でした。
しかし当時の日本社会は、その役割を受け止めきれず、
森は殺され、教育は国家道徳へと回帰し、
やがて正義の名を借りた暴力が繰り返される土壌が残されました。
森有礼の暗殺は、思想の違いをどう扱うのか、
異論を排除するのか議論するのかという問いを、
今も私たちに突きつけています。
社会が不安になり、正義が単純化されるとき、
この構図は何度でも現れるのだということを、
この事件は静かに教えているのです。