EXECUTIVE BLOG
2020.12.7
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きですが
明日は 太平洋戦争開戦記念日ですね
先に書きましたが 日本海軍がパールハーバーを攻撃した日で
これは 米国にとりましては屈辱の日と捉えていて
いまだに忘れる事が無い日にしているようです。
開戦までのいきさつは 又機会を改めて書かせて頂きますが
この攻撃により 米国に反撃の口実を与えてしまったともいえるのです
ナチスドイツのヒトラーは日本がアメリカに宣戦布告したことに対して
ナチスも米国を敵に回すことになるので困っていたと言う話も聞いています。
開戦から約一年は 日本軍は連戦連勝だったのですが 国力の差があり
2年目からは苦戦を強いられ そして昨日まで書いたように
原爆まで落とされ 無条件降伏をすることになたのです。
この敗戦を機に それまであった 大日本帝国憲法は日本国憲法に置き換えられることになり
日本は民主国家として生まれ変わる事が出来たのです。
この憲法に関しては 米国からの押し付けともいわれ 今では 改憲論争がおきていますが この事はよくわかりませんので 世の中の動きを見ておくしかありません。
さて 昨日まで書いたように 天皇及び皇居を警護していたのが 近衛師団でした。
今では 近衛兵とか耳にしませんが この近衛師団とは
大日本帝国陸軍の師団の一つで、一般師団とは異なり、最精鋭かつ最古参の部隊として天皇と宮城(皇居)を警衛する「禁闕守護」の責を果たし、
また儀仗部隊として「鳳輦供奉」の任にもあたったのです。
近衛師団はどうしてできたかと言いますと
江戸幕府を倒し明治新政府が樹立された当初、
政府は独自の軍隊を保有しておらず、
軍事的には薩摩藩、長州藩、土佐藩の「薩長土」に依存する脆弱な体制だったのです
そのため1871年
政府は「天皇の警護」を名目に薩長土の3藩から約1万人の献兵を受け、
政府直属の軍隊である御親兵を創設し、この軍事力を背景に「廃藩置県」を断行しました。
この御親兵は、1872年に初代近衛都督西郷隆盛を中心とした近衛兵として改組され、
「天皇および宮城(皇居)の守護」という任務が課せられたのでした。
では 現在の天皇及び皇居の警護は この近衛師団が行っているのかと言いますと
今は 陸軍もなくなり 近衛師団も消滅してしまってますので
近衛師団は警備していません
皇居周辺を歩いていますと 警察官が多数いるので
皇居は所轄の警察官が守っているのかと思うでしょうが
実は違うのですよ、
えっ
では誰が警護しているのか??
その話は
明日へ続きます。