EXECUTIVE BLOG
2024.4.12
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 神社の話から 鳥居の話が続いています。
鳥居一つとっても 色々な鳥居があり 興味は尽きずなかなか先に進めません
本来であれば 神社向けのビジネスモデルの話にも進まなければなりませんが
遅々として進んでいません。
今日あたりから 一気に話を 神社とITを結び付ける話に変更しようと思いましたが
昨日 ある方から 靖国神社って 歴史が浅いのですね と言われました。
言われて見ますと 大体どこの神社も 創建何百年とかが多いですよね
靖国神社は 昔からあった訳ではないのです
靖国神社は何故出来たのか?? をご存知の方は少ないかもしれません。
これが 分かると 靖国神社の大鳥居の前にある アレにつても 納得が出来るのではと思います。
まあ 気が付かない方は 何故 こんな所に あまり神社とは関係なさそうな アレがあるのか?? と思うでしょうが 歴史を紐解くも大きな意味が理解できると思います。
では まず 靖国神社の生い立ちです。
靖国神社の歴史は明治維新の時代にさかのぼります。
これからしても 他の神社にに比べて歴史が浅い事が分かりますね
創建は明治2年(1869年)に「東京招魂社」として創建されたのです。
それが
1879年の明治12年に現在の社名である「靖国神社」に改称されたのです。
では 創建の目的ですが
国家のために殉じた人々の御霊を慰め、その名を後世に伝えるために建てられたのです。
ですから祭神は、主に「対外戦争の戦没者」と「明治維新前後の国事殉難者」が祀られているのです。
他の神社では 古事記に出て来る色々な神様をお祀りしていますが
靖国神社はそうではなく 国の為に戦って亡くなった方を祀っていると言う事です
もう少し 歴史を紐解きますと
江戸時代の幕末、長州藩で1863年に結成された奇兵隊士の霊を弔うために、
高杉晋作が招魂社造営を発議したことに始まりになります。
その後、19686年の戊辰戦争後に、
官軍将校の招魂祭を江戸城で行うとともに、京都東山では官軍の戦死者を祀っていました。
これを機に、幕末、明治維新期の戦没者を慰霊、顕彰する動きが全国的に活発になり、
今靖国神社にあるアノ方が
明治天皇に東京に招魂社を創建することを献策したのです。
それを受けて明治天皇は翌69年、現在の東京・北九段に「東京招魂社」を創建し、
戊辰戦争の戦没者3,588柱を合祀しのが始まって、
軍直轄だった東京招魂社は、「靖国神社」に改名したのです。
当初は、天皇の側に立って戦った官軍の戦死者を顕彰するのが目的でしたので、
よく知られているように、「西南戦争」で明治政府に反抗して戦死した西郷隆盛や、
「佐賀の乱」を起こした江藤新平は“賊軍”であるとして、合祀されていないのです。
更に会津藩の白虎隊も明治政府に逆らった賊軍であり、
最後は切腹をしたため靖国神社には祀られていないのです。
一方で、戊辰戦争以前の「安政の大獄」で江戸幕府によって処刑された
吉田松陰、橋本左内らは“新政府側”ということで合祀されていますし
戦死ではなく結核で病死した高杉晋作も合祀されているのです。
こうした対応に、いまでも福島県民の中には不満を持つ人がいるのが現実だそうです。
これで 靖国神社の生い立ちは分かるかと思いますが
では その靖国神社にある アレとは?????
の話は
明日へ続く、、、、。