EXECUTIVE BLOG
2019.11.8
高光産業株式会社 妹尾八郎です。
昨日からの続きです。
話は関ヶ原から日露戦争までの話になり
やっと ITへの道へ戻ろうとしています。
そもそも ITを始めるきっかけは何だったのか??
まったくのアナログ人間で パソコン何度から逃げようと思っていた時に
出会った いろんな出来事。
そして 母からの一言で ITへの道へ進むことになる。
運命を感じると言う話から
なぜか 話は飛んでしまって
日本航空羽田沖墜落事故へと続いているのです。
もう ずいぶん前の話ですので 記憶のかなたの方も多いかと思いますが
少し振り返ると
1982年2月9日に日航福岡発DC-8機が機長の逆噴射により滑走路南の東京湾上に突入したというものなんです。
海中で発見された死者は20人。機内で亡くなった人は4人。149名が重軽傷者がでました。
この原因というのがなんと、機長の意図的な操作が原因という驚くべき事実でした。
機長は事故の前日にも、離陸時には通常30度で機首を上げ機体を上昇させるのですが、
70度もあげ副機長に修正されるという異常な行動をとっています。
この時に乗客よりクレームがあったが副機長は報告を上げず事故に至ったということで日航の管理体制の問題が浮き彫りにされました。
と言う事故でした。
私は 当時 高光産業に勤務しており
お得様へ挨拶へ行くために この飛行機に乗る予定でした。
そして 何よりもこの飛行機が好きだったのは
機体が 空の貴婦人と呼ばれた DC8機だったからです。
この機種は 当時天皇陛下も搭乗される世界的に安全な飛行機だったからです。
そして
挨拶に行く場所が 品川でしたので 朝一便のこの飛行機に乗れば
十分間に合う時間だったので
この飛行機を予定していました。
本来これに乗っていれば 今は無いかもしれませんね
しかし なぜかこの時には
ふと どうせ東京入りするならば 夕方仕事が早く終わったので
夜の最終便に切り替えたのです。
特に理由はなかったのですが 本当に気まぐれに 日付は違いますが
一便早めたのです。
結果 事故に遭わずに済んだのですが
これも運命ですよね
そういえば 東北大震災の時 3月11日ですが
その週は仕事で東京入りしていて 11日も予定が入ってました。
しかし 9日の朝に東京で地震があり その揺れ方がなんか違うなと
感じたのでした。
それで 急遽 11日の予定はキャンセルして10日に福岡に戻ったのでした。
通常 先得とかでチケット購入しているので変更などはまずしないのですが
しようとしても面倒くさいので 私の性格上そんな事をしないのです。
今振りかえっても どうしたのか記憶にないのです。
しかし
一日前に東京を離れました。
結果 11日の大震災を東京で遭わずに済みました。
不思議な予知能力でもあるのかと思い出すと感じてしまいますね。
そんな運命を 知らずにいくつも辿ってるのでしょうが
ITへの道へ入ったのも その運命の一つだったかもしれません
それで
話は 戻り 母から言われた場所へ行ってみると。
そこは なんと
明日に続く、、。