EXECUTIVE BLOG
2024.11.21
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 平安時代の清少納言の話しでした。
歴史に関しまして 多少興味はありますが
私が 一番ワクワクするのは 江戸末期から明治維時です。
先日から書いている 清少納言が活躍した平安時代は イメージ的に
何か ノンビリしていて あまり興味が持てませんでした。
しかし 彼女が書いた枕草子などを調べているうちに何となく興味が湧いてきてます。
平安時代と言うと まず 優雅なイメージですね、
貴族が活躍していて 文化も発展していきます
文学においても それまでの漢字だけから かな文字が生れて来ています。
ただ それらの発展も一気に進んだわけではないのです
そもそも 一口に平安時代と言っても 何年続いたのかご存知の方は 少ないと思います。
平安時代は 400年も続いているのですよ
江戸時代は約260年から かんがると 如何に長いかが分かります。
今年は2024年ですから 400年前と言いますと 1624年です。
1624年は江戸の初期の寛永寺代と言う事になります。
それから10年後に 鎖国令や参勤交代が始まるのです。
1624年から2024年の400年間を見てみますと 世界も日本も大きく変わって行く時代ですね
日本では江戸時代から幕末 日露戦争 第一次世界大戦 第二次世界大戦を経て
高度成長経済を迎え 今では IT中心の世界になっています。
これだけ進化しているのですが
平安時代は ずうっと 同じなんです。
毎日毎日がそんなに変化もなく進んで行ってだと思います。
しかし 驚く事に そんな平凡な時間を過ごしている中でも
まあ 時間があるからなのでしょうが 貴族たちは漢詩を学び そこから
新しい文学を作り出していったのですね
新しい日本文化が 花開いたのも この平安時代でした。
それは それまでの遣唐使が廃止になったからとも言われています。
これにより 日本独自の文化が編み出されるのですが
その前に そもそも 遣唐使ってなんだったか? 覚えていますか?
何となく日本史で習って 名前は知っていますが
そも始まった理由 や目的迄語れと言われると 思い出せませんね、
奈良時代などの歴史用語として最も知られた存在の一つが「遣唐使」ですが、
こちらはその名の通り当時の中国を治めていた国家「唐」に「使節」を「派遣」するというものです。
その目的は、基本的に技術・制度・仏教文化などが発達した当時の中国大陸から、
それらを学び取り日本に持ち帰ることが目的とされました。
また、日本から朝貢品を持っていき、唐側から「回賜(かいし)」という返礼品をもらって持ち帰るという「交易」としての側面もありました。
遣唐使で派遣された使節や留学生などが、中国の文物や制度を学んで日本に持ち帰るなどし、実際に飛鳥時代の後半から奈良時代にかけては、
中国の制度などに基づいて日本でも本格的な律令制度が制定され、
各種の学問も中国文化を基本とする形で発展していったのです。
おおまかな 都市づくりもこの時に整備されたのです。
他にも 遣唐使がもたらしたものがありますが
それらの話は
明日へ続く、、。