EXECUTIVE BLOG
2023.4.23
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは なんとなく魅力を感じる銀座の話でした。
この洒落な街、銀座はいつから お洒落になったのかにも興味は湧きますね
この銀座は
時代が明治へと移り、いち早く文明開化の風が吹いたのが銀座の始まりでした。
そのきっかけは、
明治5(1872)年の大火だったのです。
この時に銀座一帯は焼け野原となり、焼失した地域の復興計画として、
洋風の煉瓦建築による都市計画が立案されたと言う事なのです。
理由は、幕末の不平等条約改正のための欧化政策で、
つまり、日本が文明国であることを対外的に立証して交渉をできるだけ有利に進めたいという政府の意向があったからと言うわけなのです。
では 文明開化の前の銀座はどうだったのか??
「銀座」の地名は、
江戸時代の「銀座役所」に由来するのです。
1603年に江戸幕府をひらいた徳川家康は、
駿府にあった銀貨鋳造所を現在の銀座2丁目に移しました。
その場所の正式な町名は新両替町でしたが、
通称として「銀座」と呼ばれるようになったのです。
昔の地図をみてみますと
「銀座は海の中だった」と言う方がありますが、
江戸以前の銀座周辺は完全に海の中であったわけではないのです。
銀座は江戸前島という、
東京湾に大きく突き出した半島の先端部の低湿地帯であったと考えられています。
今では全く想像がつかない 地味なエリアだったと言う事になりますね
それらの低湿地帯と日比谷入江、築地方面を埋め立てることから、
江戸のまちづくりは始まったと言われています。
この「銀座」という座組織は幕府のために銀貨をつくる組織でしたので、
銀の買い入れや銀の管理、事務を取り扱う役所と、
銀貨の鋳造を行う工場とがありました。
ちなみに金を扱う金座は日本橋の、現在の日本銀行本店のところにあったそうです。
昨日 銀座 銅座はあるが 金座は無いのか??? と思っていた疑問がこれで
解決できますね
実は 金座もあったと言う事なのです。
しかし 今ではその名前をなぜか残してないので 金座と言う地名がないと
考えてしまったのです。
今では 華やかな街の銀座も 江戸時代は殺風景な湿地帯だったとは
想像もつきませんね、
それが 明治を経て 現代に至るまで どんどん 進化し続けて
益々魅力ある街になっています。
で 昨日
魅力あるものを見つけたと言う
あるモノの話は???????
それは????
明日に続く、、、、。