
EXECUTIVE BLOG
2026.11.6
高光産業株式会社
妹尾八郎です
昨日までは、
上野の不忍池で偶然見つけた一体の銅像をきっかけに、
その人物の生涯や、銅像が建立されるまでの物語を、
ご紹介してきました。
最初は、尼僧なのか、それとも昔の女性なのかと思った銅像。
調べてみると、
それは今からおよそ1300年前、
中国から日本へ渡った鑑真和上の姿だったのです。
六度目の挑戦でようやく日本にたどり着いたこと。
その間に視力を失い、多くの仲間との別れを経験したこと。
そして、
時代を超えて、その功績を伝えようとした人々がいたこと。
一体の銅像から、実に多くのことを知ることができました。
しかし、
調べれば調べるほど、私の中に新しい疑問が生まれてきました。
そもそも、
鑑真とはどれほど偉い人物だったのでしょうか?????。
と言う疑問です、、、、。
日本が命がけで中国から招こうとしたのは、
なぜだったのでしょうか????。
そして、
何よりも知りたくなったのは、
鑑真が日本に何を教え、何を残したのかということです。
考えてみれば、
鑑真は新しい宗教を創始した教祖ではありません。
仏教は、彼が生まれる1000年以上も前から存在していました。
鑑真は、その教えを学び、実践し、
人々に伝えていた一人の僧侶だったのです。
それなのに、
なぜ日本仏教の歴史に、
これほど大きな名前を残すことになったのでしょうか?。
そこで今日からは、銅像そのものから少し離れ、
鑑真という一人の人物が、何を学び、何を教え、
日本に何を残したのかを、改めてたどってみたいと思います。
鑑真が生まれたのは688年。
現在の中国・江蘇省にある揚州という町でした。
14歳で仏門に入り、その後、洛陽や長安などで修行を積みました。
当時の中国は唐の時代です。
仏教の研究が盛んで、多くの優れた僧侶が活躍していました。
その中で鑑真が特に深く学んだのが、
「戒律」と呼ばれる教えでした。
戒律とは、
人として守るべき倫理や、
僧侶が修行生活を送るうえで必要となる規則のことです。
鑑真は、こうした戒律を正しく伝える指導者として、
次第に高い評価を受けるようになります。
やがて揚州の大明寺で住職を務め、中国南部を代表する高僧となりました。
「江南第一の大師」とまで称されたと伝えられています。
そして、
生涯に戒を授けた人は、4万人以上に及んだともいわれています。
もちろん、
これは当時から伝わる記録上の数字ですが、
多くの人々が鑑真を慕い、教えを受けようとしていたことがうかがえます。
私は、このことに興味を持ちました。
鑑真は、権力によって人々を従わせた人物ではありません。
まして、
自分が新しい教えを発明したと主張したわけでもありません。
先人たちが積み重ねてきた教えを深く理解し、自ら実践し、
それを次の人へ伝えることに力を注いだのです。
ここに、人間の信用というものの本質があるように思います。
私たちは、つい立派な肩書や地位に目を向けがちです。
しかし、
本当に人から信頼されるかどうかは、
肩書だけで決まるものではないでしょう。
日々、何を考え、何を実践し、どのように人と接してきたか。
そうした小さな積み重ねが、
長い年月の中で、その人の信用になっていくのだと思います。
鑑真が日本に伝えた戒律の伝統は、
その後「律宗」という宗派として受け継がれていきます。
律宗という名前は、あまり耳にする機会がないかもしれません。
しかし、実は現在も日本に存在しています。
代表的なのが、奈良の唐招提寺です。
鑑真が759年に開いたこの寺院は、
今も律宗の総本山となっています。
京都には、新選組ゆかりの寺として知られる壬生寺があります。
こちらも律宗のお寺です。
さらに、
京都の法金剛院や、京都府八幡市の善法律寺などにも、
その伝統が受け継がれています。
私自身、今回調べてみるまで、
こうしたお寺が律宗に属していることを詳しく知りませんでした。
よく知られた寺院の歴史をたどってみると、
そこに思いがけないつながりを発見するものです。
そして、もう一つ驚かされることがあります。
鑑真の教えに由来する僧侶の育成制度は、
奈良だけではなく、遠く九州にまで広がっていったのです。
福岡県太宰府市の観世音寺には、
かつて日本を代表する授戒の施設が置かれていました。
この話については 又別の機会に、、。。
一人の僧侶が学び、実践し、伝えようとしたことが、
1300年近い年月を経ても日本各地に残っている。
考えてみれば、実に不思議なことです。
人間には、それぞれ与えられた時間があります。
どれほど多くの知識を身につけても、
それを自分の中だけに閉じ込めておけば、
自分の人生とともに失われてしまうかもしれません。
しかし、
誰かに伝え、その人がまた次の人へ伝えていけば、
知識や経験は、いつしか社会の財産になっていきます。
人間の偉大さとは、
自分がどれほど多くのものを手に入れたかではなく、
自分が得たものを、
どれほど多くの人のために役立てられたかにあるのかもしれません。
鑑真は、そのことを自らの人生で示した人物だったのでしょう。
では、仏教がすでに広まっていた日本は、
なぜ鑑真を必要としたのでしょうか。
明日は
奈良時代の日本が抱えていた、
ある大きな問題についての話に、、、
続く、、、、、、、。