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社長&顧問ブログ

2024.5.2

長崎清水寺

 

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは フェートン号の話やら 高島秋帆の話で 長崎絡みの話しでした。

 

それから 高島平と高島秋帆の話がどうなるか?? は 又後日になりますが

高島平との地名になる前は 徳丸ヶ原と言う地名だったのです。

 

これが 高島平になるきっかけが フェートン号事件と言う事になるのです。

そのいきさつは後ほどと言う事で

 

昨日からの続きで 私が長崎に住んでいた時に歩いていた 寺町の話になります。

住んでいた場所は 寺町のすぐ隣り町の 鍛冶屋町と言う所でした。

この近くが 実は 高島秋帆生誕の地だったそうですが 当時は その人が

何をした人なのか? とかには 全く興味を持つこともありませんでした。

 

長崎と言えば シーボルトやグラバー邸くらいしか当時は知りませんでした。

他には 坂本龍馬の海援隊ですかね、

鍛冶屋町から近いところに 料亭「花月」があり そこの床の間に

坂本龍馬が切りつけたと言う 刀傷が残っていると言われていますが 真意ははっきりしません。

不思議な事に 長崎の方に 長崎の歴史上の偉人の中に 坂本龍馬を一番に挙げる人が居ると言うのが不思議なんですが

坂本龍馬と長崎は強い関係があったと言う事なのです、、、

この話も またにして

 

フェートン号事件で 切腹した 松平康英の墓が 寺町の 大音寺にある事を当時

見つけたのです、

その墓に行くまでの坂が 物凄く細い道なのですが この坂の事を 「へいふり坂」 と

呼ぶのだそうです。

 

それこそ へえ~~ そうなんだと 思う所なのですが

地元の人に聞いても 昔からそう呼ばれてるからそうなんです としか返事が返って来ないのです。

 

冗談で言う人は 坂がきついので おならが出るのでは と言う人もいるくらいでした。

 

しかし こういう言葉も興味を持って調べてみますと色々な事が分かってきます。

 

長崎には 寺も多いのですが 神社も数多くあります 先ほどの鍛冶屋町の奥には

何故か 長崎なのに八坂神社があり その隣が清水寺なのです

八坂神社 清水寺と聞くと 真っ先に思うのは 京都ですね

 

それが どのような縁で 長崎にあるのか???と思ってしまいます。

 

京都の清水寺は修学旅行で訪れたと言う方が多いかと思います。

 

調べてみますと

日本には、「清水寺」と名のつくお寺が多数存在するそうです。

しかし長崎市の清水寺は全国で唯一、京の清水寺の「末寺」として生まれた由緒正しき歴史を持つそうなのです。

創建したのは、総本山である京都清水寺の僧、慶順だそうで、

彼は京都清水寺に安置されていた観音像をたずさえ、全国各地をめぐりながら教えを広める中で、長崎に辿りついたといわれているそうです。

江戸時代初頭の長崎はキリスト教信仰が強く、キリシタンによって寺社仏閣が壊され、

仏教や神道は力を失っていたようで、

幕府としてもキリスト教は脅威であり、寺社仏閣の再興に援助を惜しまなかったようです。

 

長崎で布教を行っていた慶順も、長崎奉行より土地を与えてもらい、この清水寺建立する事が出来たそうなのです。

 

この長崎奉行に 後のフェートン号事件の悲劇の松平康英が後に赴任したと言う事ですね、、

 

話しは またまたあちこち飛んでいますが

実は ココに清水寺を建てたのに 地元の人もあまりご存知ない 逸話があるのです、、、

 

それは??????

 

明日に続く、、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

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