EXECUTIVE BLOG
2024.1.6
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 江戸の庶民は 頓智が利いていたと言う話でした。
黒船が来て 幕府が大慌てしてる時にも 好奇心旺盛な江戸庶民は
禁止されていたにも関わらず黒船見学を行い 更には その野次馬相手に
双眼鏡迄貸し出し 弁当を売るなどの商売をしていたと言うのです。
江戸商人のしたたかさがうかがえる話だと思います。
この黒船が来て 一気に幕末に向かう事になるのです。
そしてこの倒幕の原動力になったのが 薩摩長州である事は周知の事実ですね。
そして 薩長同盟を結ばせたのが 坂本龍馬だと言われており
今でも多くの人から英雄として尊敬されています。
原動力になった 長州藩ですが 江戸時代の元旦に 奇妙な儀式が行われていた事を
ご存知の方は少ないかと思います。
それは 元日の挨拶に
家臣が「殿、今年はいかが!」と殿様に挨拶をすると
殿様が「いや、時期尚早じゃ」と返事をすると言う挨拶です。
萩城では正月の儀式としてこんな挨拶が行われていたというのです。
これは どういう意味かと言うと
毎年新しい年を迎える度に「今年は徳川を討つべきか」と倒幕の機をうかがう、
そんなやりとりだったのです。
関ヶ原の戦いの際、毛利輝元は西軍の総大将となっていましたが
自身は関ヶ原に出向かず戦わず、
一族の吉川も東軍に通じ“毛利の領地を保証する”という約束を家康の側近から得ていたのです。
ところが、いざ西軍が破れると家康は約束を反故にし、
毛利は領地を中国八カ国120万石から防長二州(周防すおう・長門ながと)30万石に減らされてしまったのです。
家臣の大リストラを余儀なくされ、城は萩という不便なほぼ沼の僻地に追いやられ、
家臣たちは家禄を五分の一に減らされ、お取り潰しに戦々恐々としていたのです。
そんな散々な目に遭わされた毛利とその家臣には
「徳川憎し」「この恨み忘れまじ」の思いが根強く残り、
冒頭の儀式が代々受け継がれ、そしてその怨念がついに倒幕を成し遂げる事に
なったのです。
260年どんだけ執念深いのかと思いますが
同じような境遇の薩摩でも「260年の怨念を晴らした」と言われています。
当時の家や主君を思う気持ちは、現代人からは想像もつかないほど強いのかも知れません。
こうして 維新の原動力となった 長州は江戸幕府を倒す事で恨みを晴らしたかもしれませんが
一方 恨みを残す事をしでかしていましたね
それはなにか????
は
明日に続く、、、。