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社長&顧問ブログ

2025.12.6

閏月

 

高光産業株式会社

妹尾八郎です。

 

昨日までは 旧暦から新暦に変わった時の庶民が混乱した話でした。

 

旧暦時代には 閏月と言う月があり 一年が13か月の年もありました。

今日は この話に続きます、、、。

 

旧暦の時代には、一年が十二か月の時もあれば十三か月になる年もあり、

現代の感覚からすると不思議に思える仕組みですが、

実はこれは太陰太陽暦と呼ばれる古い暦法が持つ合理的な調整方法であり、

十三番目の月は「十三月」と呼ばれていたわけではなく「閏月」と呼ばれていました。

 

閏月とは、

春夏秋冬の季節と月の動きのズレを調整するために特別に挿入される月のことで、

暦の混乱を避けるために極めて重要な役割を担っていたのです。

 

では、そもそもなぜ閏月が必要だったのかといえば、

月の満ち欠けを基準とする太陰暦では、

一か月は約二十九日半で一年は約三百五十四日となり、

太陽の動きを基準にする季節の周期である三百六十五日余りとは

約十一日の差が生じてしまうため、

このままでは暦が一年ごとに季節からずれてしまい、

数年も経てば本来春であるはずの三月が冬になり、

秋のはずの八月が夏になるというような重大な誤差が積み重なってしまうからです。

 

このズレを調整するために、約三年に一度の割合で一か月を余分に挿入し、

季節と暦を一致させる方法が「閏月」であり、旧暦ではこれが制度化されていました。

 

では、この閏月はどこに挿入されるのかといえば、

特定の「十三月」が存在したわけではなく、

既存の十二か月のうちのどれか一つが丸ごと複製される形で追加され、

その年に限って同じ名前の月が続けて二回現れるという仕組みでした。

 

例えば「閏三月」「閏五月」「閏八月」などのように、同名の月が二度訪れ、

最初の三月と次の三月という区別のために「閏」の文字が付けられたのです。

 

つまり「十三月」という呼称は存在せず、

「閏月」という考え方が季節調整のための正式名称でした。

 

旧暦を使っていた人々は、

この閏月を当たり前のものとして受け入れて生活しており、

閏月が入る年は一年が十三か月になるため、

商売の帳簿、農作業の計画、行事の予定などにも影響が出ましたが、

人々は事情をよく理解していたため混乱はそれほど大きくなかったと考えられています。

 

農村では特に季節の移り変わりが生活と直結していたため、

閏月が入ることで暦と農作業の時期がずれず、

むしろ自然と暦が合うことに安心感を持つ人が多かったのです。

 

また、旧暦の年中行事、特に祭りや年中行事は

月の名前よりも季節感が重要であったため、

閏月が入っても多くの場合「実際の季節に合わせて行う」

という柔軟な運用がされていました。

 

例えば、旧暦八月の行事である中秋の名月も、季節に合わせて十五夜を祝ったため、

「閏八月」の年には名月が二回あるように見えますが、

実際には天文学的に計算された日付が儀礼として重視され、

生活に混乱を生むことはほとんどなかったのです。

では、現代の暦は何が違うのかといえば、現代の暦は太陽暦であり、

地球が太陽の周りを一周する周期を基準として一年を三百六十五日とし、

四年に一度の閏年で一日を追加することで調整しているため、

月の満ち欠けとは無関係に運用されているのです。

 

月のリズムを基準にしない分、季節とのズレがほとんど生じず、

複雑な閏月の挿入も不要になりました。

 

旧暦の時代に人々がどのように対応していたかについてもう少し詳しく触れると、

役所や寺社が配布する公式の暦が毎年作成され、

その中に「今年は閏月があります」「閏五月です」というように明記されていました。

 

そのため庶民は暦を見ればその年の構造を理解でき、

農作業の開始時期や商取引の締め日などを調整して生活していたのです。

 

商人にとっては一年が十三か月になるため、帳簿の締め日、掛け金の支払い、

年内に収める税金の計算などに多少の負担はあったものの、

日本社会では旧暦の概念が浸透していたため概ね問題なく行われていました。

 

寺社の祭礼に関しても、

閏月が入る年には「同じ祭礼が二度ある」という地域も存在しましたが、

これは不都合というよりもむしろ

「もう一度祝える恩恵」という感覚で捉えられることもあり、

閏月が必ずしも混乱を招いたわけではありません。

 

また、旧暦では日付の意味よりも

「季節との調和」が重要視され、月名はあくまでも季節を読み取るための目安であり、

生活のリズムは自然に根ざしていたため、

閏月も自然の一部として扱われていました。

 

閏月の存在は迷信や混乱の原因ではなく、

むしろ季節と暦を一致させるための科学的な調整法として常識とされ、

庶民の生活に深く馴染んでいました。

 

さらに付け加えると、旧暦における閏月の位置は毎年固定されておらず、

その年によって「閏二月」だったり「閏七月」だったりと変化し、

どの月が二度現れるかは精密な天文学的計算によって決定されていました。

 

そのため庶民は「今年はどの月が二回になるのか」を暦が配られるまで知らず、

暦を手にすることが一年の始まりの象徴でもあったのです。

 

つまり旧暦の暦は単なる予定表ではなく、

自然と人間生活を結びつける重要な生活の羅針盤であり、

閏月はその中の「季節を守るための仕掛け」だったのです。

 

現代の私たちは閏年に一日増えるだけで「少し特別」と感じますが、

旧暦では一か月まるごと増えていたため、暦の構造が現在とは根本的に異なり、

その違いを理解すると旧暦の人々の季節感や自然観がより深く見えてきます。

 

旧暦の世界では、自然の動きに合わせることが何よりも重要であり、

暦というものは人工的に決められているようでありながら、

実は自然の摂理を人間の生活に反映させるための高度な知恵でもあったのです。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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