EXECUTIVE BLOG
2021.2.17
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです
昨日までは 新聞の前身の瓦版の話でした
最初の瓦版が 関ヶ原の戦いを伝えたと言うのですが
当時 東西両軍合わせて20万人ほどの武士が 日本中から関ヶ原に集結したのです。
我々は 関ヶ原の戦いが有ったとか 徳川側が勝ったとかの事しか知りませんし
戦国武将ファンは 大谷吉継が好きだとか、井伊直政が凄かったとかの話では盛り上がりますが
よくよく考えてみますと 凄い大軍が一か所に集結するのです
その時の人々の事を考えてた方は少ないのではないでしょうか?
それぞれの地域の農村地や街道を全身武装した連中が通るのです
普通の人だと 物凄く恐ろしかったと思うのです。
道中の食事はどうしてたのか? 各農村が無償で提供したいたのか?
又 大きな町では 住民達はあちこちで どうなるのか?と
噂話で持ちきりだったと思うのです
まだ 瓦版が出る前の話ですから
情報は口から口との伝達だけだったのでしょうが
正式な情報が入らないまま 血気盛んな武士が来た時は それは恐ろしかったのではと
想像します。
又 関ヶ原の戦いでは
勝手に人の田畑をめちゃくちゃにしながら戦ったのでしょうから そこの住人はどうしていたのだろうかと思いますね
しかも 戦いが終わってからは あちこちに死体が転がっていたはずです
その数 数万体だったとおもいますが
その処理は 地元住人が行っていたのでしょう。
後世の我々は 戦いがあったとしか 習いませんが 当時の民衆はそのときどのようにしていたかに興味が湧きます。
きっと傷ついた兵士の介護も 西軍東軍の区別なく献身的に行っていたと思います。
またまた 話は大きく逸れてしまいましたが
明日は その辺の話の続きになるのか?
または 戻るか???
それは
明日に続く、、。