
EXECUTIVE BLOG
2026.4.7
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは
最初の特攻隊指揮官の 関大尉の話しでした。
今日は そのお母様のはなしへと進みます、、、。
特攻隊指揮官の関大尉はまだ若く、
これからの人生がいくらでも広がっていたはずの人でしたが、
時代は彼に別の運命を与えました。
神風特別攻撃隊の先駆けとして出撃し、その命を空の彼方に散らしたのです。
戦時中の日本では、その死は大きく報じられました。
新聞もラジオも、その行動を称え、彼の名は瞬く間に全国に広まりました。
そして人々は彼を「軍神」と呼びました。
国のために命を捧げた若者として、その存在は神聖化され、
まるで人間ではないかのように語られていったのです。
しかし、その言葉の裏で、ひとりの母がいました。
母にとって行男は軍神ではありません。ただの息子でした。
幼い頃に手を引いて歩いた記憶も、笑った顔も、叱った日々も、すべてが胸の中に残る、
かけがえのない存在でした。
その息子が帰らない。
それだけで、母の世界はすでに崩れていたはずです。
それにもかかわらず、母は悲しみに沈むことを許されませんでした。
世の中は彼女に「軍神の母」という役割を求めたのです。
人前では涙を見せてはいけない。悲しみを口にしてはいけない。
息子の死を誇りとして語らなければならない。
どれほど胸が張り裂けそうでも、
「立派でした」と言わなければならない。
どれほど泣きたくても、
「名誉なお役目です」と受け止めなければならない。
その姿を想像すると、言葉を失います。
母はきっと夜になって、一人になってから泣いたのでしょう。
誰にも見られないところで、声を殺して泣いたのでしょう。
人前では強くあろうとしながら、
心の中では何度も息子の名を呼び続けたに違いありません。
それでも世間は、その母をさらに持ち上げました。
軍神の母として称え、讃え、
まるで一つの象徴のように扱ったのです。
しかし、その称賛は、母の心を救うものではありませんでした。
むしろ、母から「ただの母であること」を奪っていったのです。
本当ならば、泣き崩れ、叫び、悔しさを吐き出してもいいはずの存在が、
それを許されない。
その苦しみは、どれほど深かったでしょうか。
息子の死を受け入れるだけでも耐え難いのに、
その死を誇りとして演じ続けなければならない。
その矛盾の中で、母は生きていました。
戦争というものは、命を奪うだけではありません。
人の感情までも縛り、悲しみの表現すら制限してしまうのです。
そして、その象徴が、この母の姿でした。
人々は勇ましい言葉で彼の死を飾りました。
忠義、名誉、立派、軍神、そうした言葉が並べられました。
しかし、その言葉が増えれば増えるほど、
母の中の「ただの息子」という存在は、
どこかへ押しやられていったのではないでしょうか。
本当は、神ではなく人であり、英雄ではなく息子だった。
その当たり前の事実が、時代の中で見えなくなっていったのです。
それでも母は知っていました。
行男は神ではない、私の子だと。
その思いを胸の奥に抱えたまま、
母は軍神の母として生きることを強いられたのです。
そこには誇りなどではなく、
耐えるしかない日々があったのではないでしょうか。
そしてやがて戦争は終わります。
すべてが変わる、その日がやってきます。
しかし、その変化は、
母にとってあまりにも残酷なものとなるのです。
それは、、、、
明日へ続く、、、。