
EXECUTIVE BLOG
2025.8.23
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは 戦後の始まりの話しでした。
終戦直後 闇市があったと良く映画で見たり聞いたりしますが、
闇市とは 一体何なのか??
今日はこの話に進みます、、、。
戦後の日本を語るときに「闇市」という言葉は欠かせませんが、
今の世代にはほとんどなじみのない言葉となってしまいました。
闇市とは簡単に言えば、政府や警察の目をかいくぐって
人々が物を売り買いした「非合法の市場」のことです。
しかし、なぜそんな市場が必要だったのか、
なぜ違法とされていたのかを知ると、
戦後の人々がどのように生き抜いてきたかがよく分かります。
1945年8月に敗戦を迎えた日本は、長く続いた戦争の末に都市が焼け野原になり、
工場や交通網も破壊され、農村から都市へ食料を運ぶ仕組みも大きく崩壊していました。
さらに敗戦の混乱で経済は大混乱に陥り、物価は急激に変動し、
政府が定める配給制度は機能しなくなっていました。
人々は配給切符を持っていても現物が届かない、
あるいは配られる量が少なすぎて到底生きていけないという状況に置かれていました。
お米も野菜も衣服も、戦前のように商店で普通に買うことはできず、
人々は生きるために
「表の世界」ではない「裏の市場」に頼るしかなかったのです。
こうして生まれたのが「闇市」です。
では、なぜ闇市が「違法」とされたのでしょうか。
当時の日本は「統制経済」という仕組みをとっていました。
戦時中から続いていた仕組みで、
米や野菜などの食料、衣料品や生活必需品は
すべて政府が価格や流通を管理していたのです。
米は農家から政府が安い値段で買い上げ、
それを国民に配給することになっていました。
そのため、農家が米を政府に売らずに直接市場に持ち込み、
自由な価格で売ることは「法律違反」とされていました。
つまり、闇市で売られていた米や野菜の多くは、
法律で禁止されていた「統制品の横流し」だったのです。
買う側にとっても同じで、
政府の定める配給以外の方法で米を手に入れることは
「闇買い」と呼ばれ、違法行為とされました。
闇市は非合法だからこそ「闇」という名がついたのです。
ですが、
現実には人々は配給だけでは餓死してしまうほど困窮しており、
違法と知りながらも闇市に頼らざるを得なかったのです。
闇市では、農村から持ち込まれた米や野菜、魚、卵などが高値で売られました。
農家にしてみれば、政府に安い価格で出荷するよりも
闇市に持ち込んだ方が何倍もの利益になったため、
正規流通に物が回らなくなっていきました。
都市の住民も「高くても食べられるなら」と買いに走り、
闇市は瞬く間に広がっていきました。
やがてそこには食料だけでなく、衣服、靴、石けん、タバコ、
そして進駐軍から流れ出た物資までも並ぶようになりました。
アメリカ兵から横流しされたチョコレートや缶詰、ガムやジーンズは、
闇市で高値で取引され、特に子供や若者にとっては憧れの品でした。
闇市の場所は都市の駅前や焼け跡に自然発生的に広がりました。
東京では新宿駅や上野駅、大阪では梅田や天王寺が代表的な闇市の拠点として知られ、
無数の屋台やバラック小屋が立ち並び、
人々の声と熱気が溢れる独特の空間が生まれました。
その雰囲気は混乱と同時にエネルギーに満ちた戦後の象徴だったのです。
しかし、闇市は非合法な存在であるがゆえに、
裏社会とのつながりが生まれていきました。
警察の取り締まりを逃れ、秩序を保つためには暴力的な力が必要となり、
愚連隊や不良グループが入り込みました。
彼らは闇市の利権を支配し、のちに暴力団組織へとつながっていきます。
つまり、闇市は庶民の生きるための場であると同時に、
戦後日本の裏社会を育てる温床でもあったのです。
政府はもちろん闇市を取り締まろうとしましたが、
実際には人々の命がかかっていたために完全に封じ込めることはできませんでした。
警察が取り締まってもすぐに別の場所で闇市が立ち上がり、
人々はそこに集まりました。
闇市をなくすには、まず正規のルートで
十分な食料や物資が供給されるようにならなければならなかったのです。
やがて経済の立て直しが進み、インフレが落ち着き、配給制度も改善されていくと、
闇市は少しずつその役割を終えていきました。
しかし完全に消えたわけではなく、一部は合法的な商店街として残りました。
東京新宿の「思い出横丁」や上野の「アメ横」などは、
そのルーツを戦後の闇市に持つ場所です。
今でもその雰囲気をわずかに残しながら、人々に親しまれています。
闇市が違法とされたのは、政府が国民の生活物資を統制し、
配給制度で管理する仕組みがあったからです。
しかし、配給制度が機能不全に陥った現実の中では、
違法であっても闇市がなければ多くの人が飢えに苦しみ、
命を落としたことでしょう。
闇市は人々の必死の知恵であり、生き延びるための最後の手段でした。
戦後の日本人は、法の外にあるこの市場を通して
食べ物を得、衣服を得、生活をつないでいったのです。
今日、私たちは物があふれ、自由に買い物ができる時代に生きています。
その便利さが当たり前になった今だからこそ、
戦後の人々が「違法」と知りながらも
命をつなぐために通った闇市の存在を知ることは大切です。
それは日本が焼け野原から立ち上がる過程で避けて通れなかった現実であり、
人々のたくましさを物語るものだからです。
闇市の話を知ることで、
私たちは物のありがたさ、平和の尊さを
改めてかみしめることができるのではないでしょうか。