EXECUTIVE BLOG
2024.9.17
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 九州が何故九州となったかの話から
広島 岡山辺りが 何故中国地方と言われるかの話しでした。
簡単に言うと 朝廷があった都から 近いところが近国 で遠いところが遠国で
その 中間の場所が 中国と言われたと言う事なのです。
知ってしまえばなんて事ないですが
何の興味も持たず ずっと 岡山辺りを中国地方と思っていたのです。
そして不思議な事に この中国地方は 北側が山陰地域で 南側が山陽地域となり
山口県は この二つのエリアが混在している地域になるのですね、、
で この 山陰 山陽 と言う呼び方は 陰陽道に関係するのです。
そうなると 陰陽道って何?? と思ってしまいますね、、、。
陰陽道とは何か?を 簡単に言いますと、、
「中国の陰陽五行説などを由来とし、日本で神道や仏教、修験道などの影響を受け
独自に発展した天文・暦・呪術・占星などの占いの教え」
と言えるのです。
陰陽五行説とは中国の殷の時代ですから 今から3000年以上の前の時代に成立したとされる考えだそうで
万物は陰と陽に分類されるという考えと
万物は「木・火・土・金・水」で構成されるという考えがあり、
この二つを組み合わせ万物の原理を明らかにしようとする考えだそうです。
陰陽道は神道や仏教に影響を与えているようで、
最近ではそこまで意識されないかもしれませんが、
陰陽道の流れを汲む風水を意識する人が 今でも多く居ますね、
平安京の鬼門の位置、江戸城の鬼門の位置にも陰陽道が影響していて、
それぞれ比叡山延暦寺・浅草寺を配置して守護していると言われています。
まだまだ 調べればキリがありませんが
とにかく この 陰陽道から 山陰 山陽と 地域もとにかく この陰陽道から来ているのは確かで
後に山陰と山陽を結ぶ道として陰陽連絡道と言う道路ができたのです。
これは、参勤交代や物流のために使用され、
山陰と山陽の間を効率的に移動するための重要なルートになっています。
この道は、幕末には、維新の志士たちが往来し、歴史の上で重要な役割を果たしています。
その後、陰陽連絡道は萩往還と呼ばれていて
日本海側の萩(萩市)と瀬戸内海側の三田尻港(防府市)をほぼ直線で結び、全長はおよそ53kmだそうで、
今でも観光の名所となっています。
この萩が 先日から書いている 明治維新の原動力となった町ですよね、、
と言う事で
中国地方の話は ここで一旦終わりで
明日は 四国へ進むのか??
明治維新の原動力となった 萩の話になるのか???
は
明日へ続く、、、。