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社長&顧問ブログ

2025.2.23

陸軍の父

高光産業株式会社

妹尾八郎です。

 

昨日までは 靖国神社に建立されている 大村益次郎の話しでした

彼は 戊辰戦争でも活躍をした人でした。

 

上野戦争においても手腕を発揮してますが

その攻撃の時 アノ人は何をしていたのか??? の話に進む予定でしたが

 

もう少し 大村益次郎の話しへ、

 

日本の近代陸軍の基礎を築いた人物として「陸軍の父」と呼ばれる大村益次郎ですが、

彼はどのようにして日本の軍事を近代化し、

そのような偉業を成し遂げることができたのでしょうか?

 

明治維新前の江戸時代の日本の軍隊は、各藩ごとに異なる武士中心の軍事組織でした。

しかし、大村はフランス式の軍制を導入し、全国的な統一軍を作ることを提案しました。

さらに、武士だけでなく一般の人々を徴兵することを主張し、

これが後に明治政府の「徴兵令」につながります。

 

1868年に始まった戊辰戦争では、新政府軍の指導者として西洋式戦術を駆使し、

旧幕府軍と戦いました。会津戦争や箱館戦争では、武士の戦い方ではなく、

戦略的に計算された攻撃を行い、勝利に貢献しました。

この戦争によって、近代軍の有効性が証明されました。

 

戦後、大村は明治政府の兵部省(現在の防衛省)において、

旧藩の兵を廃止し、政府が管理する統一された常備軍を創るために尽力しました。

この改革が後の「大日本帝国陸軍」につながり、

日本の近代軍隊の基礎を築く事になるのです。

 

江戸時代までは「武士だけが戦う」ものとされていましたが、

大村は一般の人々を軍隊に取り入れることを考えました。

これが日本の徴兵制の基礎となり、より強い軍隊を作ることにつながったのです。

 

大村の急進的な改革は、武士階級の強い反発を招きました。

そして、1870年に旧武士たちによって襲撃され、負傷の末に死去しました。

しかし、彼の構想はその後も引き継がれ、日本の陸軍の発展に大きく影響を与えました。

 

では大村益次郎はなぜこれほどの偉業を成し遂げられたのかですが、、

大村益次郎は、もともと軍人ではなく医者であり学者でした。

特に数学や物理学に長けており、その知識を軍事に応用することで、

他の武士たちとは違う視点で戦略を立てることができました。

更に

彼は長崎でシーボルトの弟子として西洋の医学や科学を学び、

その後江戸で蘭学を研究しました。

この西洋の知識が、後に軍事戦略や兵器開発に活かされることになるのです。

 

大村益次郎は医者でありながら、江戸では兵学も学んでおり、

日本国内では数少ない「理論的に戦争を考えることができる人物」でした。

そのため、西洋式軍隊を理解し、日本に導入することができたのです。

そして

明治新政府の中では、軍制改革を強く主張し、

政府の要人たちを説得することができました。

特に、大久保利通や木戸孝允といった新政府の指導者たちと協力し、

改革を進めました。

 

これらの命をかけた大村益次郎の改革が今も

「陸軍の父」として語り継がれているのです。

明日は 大村の人となりの話に

続く、、。

 

 

 

 

高光産業株式会社 公式サイト

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