EXECUTIVE BLOG
2023.6.17
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 日露戦争前
雪の中での戦いも想定して
青森の八甲田山において 青森県にあった 陸軍の部隊が
雪中行軍の訓練をする話でした。
この訓練に参加したのが 弘前第31連隊と 青森第五連隊の中から
選ばれた部隊でした。
冬の八甲田山は 地元の人間も足を踏み入れないと言われる程の
厳しい環境になそうです。
そこには 十分な装備と綿密な準備が必要でした。
この事は 弘前連隊の徳島大尉も 青森連隊の神田大尉も 十分承知していました。
師団司令部の指示だけでは 両大尉とも不十分だと考えていて
その対策を練っていたのです
弘前連隊の 徳島大尉は 連隊長に 今回の作戦は命の危険を伴う行軍であるため
自分に一切の指示命令権を与えるように願いでて 連隊長も現場指揮官にそれを
任せる決断を行う事で
この厳しい冬山行軍を成功に導くことが出来たのです
で今日の話は 一方の 青森連隊の神田大尉の部隊の話になります。
青森第五聯隊の神田大尉の場合は、
徳島大尉とは全く異なった上官を持つことになりました。
神田大尉の上官は、聯隊第2代隊長の山田少佐でした。
山田少佐は、雪中行軍の隊長に任命した部下である神田大尉の意見を翻し、
ことごとく自分の意見を前面に出し、それを神田大尉に押し付けてくるのでした。
雪中行軍の隊長であり、計画立案者である神田大尉と、
その上官である山田少佐との間で、意見の食い違いが生じて来たのです。
そして雪中行軍に入ると、
随行のかたちでの参加していた山田少佐が、
現場指揮官である神田大尉の意見をさえぎり、自分の意見を押し通すようになりました。
さらにひどい事に
吹雪の中、山田少佐は、完全に指揮命令系統を逸脱し、
隊長である神田大尉を無視して行動するようになりました。
何の準備もなく、思い込みの指示で行動する第五聯隊の部隊は、
いよいよ彷徨への道を歩むことになってしまい、
結局、210名の部隊のうち199名が行軍中に死亡する惨事を招いてしまう事態になってしまったのです。
危機に際して信用する部下にすっかり任せる勇気を持つ上官の部隊と、
指揮系統を無視し、自分の意見を通そうとする上官の部隊で、
その結果があまりにも異なった事例でした。
これらの事は現代の仕事でも言える事だと思います。
プロジェクトや事業を進めていても危機は必ずやってくるものと思います。
そのとき、部下がいかに優秀でも、権限を持つ上司が、部下の意見を聞かず、
自分がしゃしゃり出るようでは、危機は乗り切れないことが多いと思います。
また、乗り切ったとしても、
仕えた部下には達成感は全く感じられないとも思います。
上司たるもの、信頼する部下を持った際は、
大局的なリスクへの対応は自ら実施し、
後は、信頼する部下に任せることが必要なのではと言う教訓になると思います。
これで 冬の八甲田山の話は終わり
青森にイエスが来たのか????
と言う話に
明日は続くのか????