
EXECUTIVE BLOG
2025.5.7
高光産業株式会社
妹尾八郎です。
昨日までは 風刺画や寄せ絵の話しでした、。
江戸時代の浮世絵師・歌川国芳は、武者絵や美人画、風景画など多彩なジャンルを手がけたことで知られていますが、
その中でも特に特徴的なのが「寄せ絵」と呼ばれるジャンルです。
寄せ絵とは、遠くから見るとひとつの人物や風景に見える構図の中に、
実は多くの人や動物、道具などが巧みに組み合わされて描かれているもので、
視覚的に面白く、見る人の注意を引きます。
たとえば国芳の代表作《みかけハこハゐが とんだいゝ人だ》は、
一見すると恐ろしい顔の人物ですが、よく見ると顔や体のすべてが、
庶民たちの様々な生活の様子で構成されています。
遠くから見ると一つに見えるのに、近づくと多くの細かい情景が描かれているというトリックが使われています。
このような技法は、ユーモラスであると同時に、
当時の社会や人々のあり方を皮肉や風刺として描いたものであり、
国芳がただの娯楽絵師ではなく、鋭い観察眼をもつ社会派の画家だったことを示しています。
では、国芳の他にも寄せ絵のような絵を描いた画家がいたのでしょうか???。
実はその答えは「はい」です。国芳の弟子や影響を受けた絵師たちも、
この寄せ絵的な発想を引き継いでいきました。
たとえば月岡芳年や落合芳幾といった絵師たちです。
彼らは幕末から明治時代にかけての激しい社会の変化を見つめながら、
歴史画や錦絵の中に風刺や皮肉を織り交ぜました。
芳年の《魁題百撰相》などは、一見すると過去の武将たちを描いた真面目な絵に見えますが、実は当時の政治的な情勢を映しているとも言われています。
一方、落合芳幾は、新聞や雑誌に掲載された絵を通じて、
明治初期の日本社会の西洋化や混乱、戸惑いなどをユーモラスに描き出しています。
人間を動物に見立てたり、現代の人物に過去の英雄の姿を重ねたりする表現もあり、
庶民にとっても分かりやすく、興味深いものでした。
さらに明治時代に入ると、
寄せ絵的な表現は新聞や風刺雑誌の中にも活用されるようになりました。
特に『団団珍聞』や『絵入自由新聞』といった雑誌には、
当時の政治家や役人などを皮肉った絵が数多く掲載されました。
こうした作品では、ひとつの大きな構図の中にさまざまな出来事や人物が入り込み、
見る人に考えさせるような仕掛けがされていました。
こうした風刺表現の背景には、やはり国芳が築いた世界観の影響が色濃く残っているのです。寄せ絵のような視覚的トリックは、実は日本だけのものではなく、西洋にも存在します。
たとえばレオナルド・ダ・ヴィンチのスケッチには、
人の顔に見える風景や、複数の要素が組み合わされた寓意的な構図が見られます。
また、19世紀末から20世紀初頭にかけてのドイツ表現主義やジョルジュ・グロスなども、絵の中に多くの視点や意味を織り込む手法を使っており、
日本の寄せ絵に通じる感覚を持っています。
現代においても、寄せ絵的な表現は様々な分野で復活しています。
たとえば広告では、一枚のビジュアルに複数の意味やメッセージを込める手法がよく使われますし、アートの世界でも「だまし絵」として知られるような、
見る角度や距離によって意味が変わる作品が多く作られています。
国芳のように、一枚の絵に物語や社会への問いを込めるという手法は、
今もなお生き続けているのです。
寄せ絵は単なる視覚の遊びではなく、
そこに込められた風刺や皮肉、ユーモアを読み取れるかどうかで、
見る人の感受性が試される表現です。
そしてそれは、絵を通じて社会を見つめ、問いかける力を持っているという点で、
今を生きる私たちにも深く響くものではないでしょうか。
歌川国芳が描いた一枚の絵には、多くの庶民の暮らしや思いが込められており、
それが時代を超えて私たちに語りかけているのだと思います。
色々な角度で絵を見ると楽しいですよ、、、
明日は
あの話に続く、、、。