EXECUTIVE BLOG
2023.9.29
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 大井川から 箱根八里の話になってしまいました
我々九州人は 関東の事となると知らない事が多く 知ると興味深い事ばかりです。
昨日書きましたように 滝廉太郎が 箱根八里の歌を作っていましたが
何故 漢詩が多く含まれているのかにも 興味湧きましたが
今のところ まだ 調査しきれてません。
江戸時代は かなり昔の事と思いますが
先日も書きましたが 江戸時代生まれの人が最後に亡くなったのは 昭和51年だと
言うのですから
江戸時代は そんな昔の事ではないのでしょうが 知らない事ばかりです。
話は 変わりますが 最近のニュースは やたら2024年問題を取り上げてます
これは 物流問題が主で 運転手も足りなくなると言う話なのです。
街でよく見かける 佐川急便ですが トラックに飛脚のマークが書かれていますね
江戸時代にはトラックなどあるわけないですし 交通網は発達していませんでしたので
人の手で 手紙の配達を行っていたのです。
交通手段の発達した現代においては、東京都から大阪まで郵便物を送る場合、
午前中に速達便で出せば翌日には到着します。
しかも 料金も500円前後だと思います
ところが江戸時代に、
江戸から大坂まで一番早い便で飛脚を走らせたら、その料金は大変なことになっていたのです。
今で言うチャーター便の様な感じだと 江戸時代は正三日限という実質まる二日で届く便がありました。
が
なんと料金は銀700匁(約140万円)もかかっしまっていたのです。
料金もびっくりしますが、
江戸と大坂間の570kmという距離を人間の足だけでまる二日で走り切った飛脚の走力にも驚かされます。
この 郵便若しくは急便の原点の飛脚はもともと、
江戸幕府が開かれたときに、京都と江戸の間で公文書のやり取りが必要になったために誕生したのです。
この飛脚の話は
明日へ続く、、。