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社長&顧問ブログ

2024.1.22

駒姫

高光産業株式会社 妹尾八郎です

 

昨日からの続きです。

 

昨日までは 山形の最上家から豊臣秀次に嫁ぐために なくなく大阪に

向かった駒姫の話で

秀次に会う前に 秀吉によって 謀反の嫌疑をかけられた秀次は 自害に追い込まれ

それだけでなく

秀次の関係者は 根絶やしにされてしまったと言う 今では考えられない

惨い話でした。

 

それで ここからが 非業の死を遂げた駒姫の話になります。

 

この騒ぎの時、

最上家のある山形からはるばると京にやってきた駒姫は、

京にある最上家の屋敷で体を休めていました。

 

山形という田舎から京にやってきた駒姫は心を躍らせていたようです。

たとえ、顔も知らない秀次の側室になるとわかっていても、

京の華やかさに心を躍らせていたというのです。

 

しかし、そんな楽しいひと時も、本当に一瞬だったのです。

京にたどり着いた駒姫のもとに、秀次自害の報せが届きます。

 

それから約半月。駒姫はいったいどんな気持ちで過ごしていたのでしょうか。

周りの不穏な報せは耳に入っていたようです。

 

勿論 娘を愛している父親の最上義光にもその情報は伝わり

あらゆる手を使って 娘を助け出そうとしました。

 

歴史に もし はありませんが

もし 駒姫が山形をでるのが遅れていたら もし 道中 大井川が雨で渡れなかったら

と思ってしまいます。

 

父君の最上義光の嘆願虚しく、駒姫は8月2日。ほかの側室たちと同じように三条河原へ引き立てられ、11番目に処刑されてしまったのです。

 

実はこの時、義光だけならず淀殿も秀吉に進言したという逸話があります。

駒姫にいたってはあまりにも可哀そうな状況で、しかも、

まだ秀次に会ってもいない姫だったからです。

 

さらにショックな話が残っています

 

秀吉といえども まだ秀次とも会ってないのであれば

駒姫を助けようと言う気がおきて

「奈良の寺で尼にしろ」とお達しを出したというのです。

 

しかし しかし

ほんのちょっとの差 今で言えば100メートルぐらい手前までその伝令は来ていたと言うのです。

そのちょっとの差で駒姫は処刑されてしまっていたという話が残っています

 

あまりにも悲しい話です

 

この時の姫は 16歳くらいです

そしてその時に残した 辞世の句があります

「うつつとも 夢とも知らぬ 世の中に す(住・澄)までぞ帰る 白河の水」

です。

簡単に訳してみますと、

これは本当の出来事なのでしょうか。もし夢であるなら覚めてほしい。そして、美しい白河のある山形へ帰りたい

と言った内容ですね、

 

まさか自分がどうして?? と最後まで思ったのではと思います。

 

この非業の死をしった 父義光が 専称寺を今の場所に移して 駒姫の菩提寺にしました。

 

その 専称寺で私が見た彫り物が 左甚五郎の作だとその時に聞いたのでした

 

では

その彫り物とは一体なになのか?

 

それとインカ帝国と何がかんけいあるのか???

ないのか??

 

の話は

 

明日に続く、、、。

高光産業株式会社 公式サイト

https://takamitsu.com/

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