EXECUTIVE BLOG
2020.9.18
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです
いつの間にか ITへの道から 歴史の話に逸れていますが
いずれの時代も情報が大切だと言う事なのですが
江戸時代は 長い鎖国のせいで 情報が遮断されていて
その中でも情報を求めた蘭学者たちは 迫害を受けながらも
研究を残し それが後世思わぬところで役に立っていること。
また それぞれの時代に生きて活躍したことが
これまた後年重なり合って実ってくるという
歴史の流れの面白さの話でした。
そんな 中
寛政の三奇人の話になり
一人は 仙台藩の林子平 もう一人が蒲生君平と言う人で
どちらも 当時の幕政に危機を覚え訴えていた方です。
これも 日本を愛することから産まれた行動だったのだと思います。
そして
今日の話
もう一人の奇人
京都三条駅で 土下座をしている銅像のモデルとなった人物の話に
戻ります。
一体彼は 誰で どこを向いて土下座していて 何の為の土下座だったのか?
と言う話になります。
京都は色んな歴史がありますから名所旧跡は沢山あります
五条の大橋では牛若丸が活躍しましたね。
では 三条のこの人は
それは 高山彦九郎 と言う人物です
これを 聞いて 殆どの方は
えっ 誰? そんな人聞いたこともないと言う方が多いと思います。
殆ど教科書にも出てきてなかったと思います。
しかし 何故 彼が銅像にまでなっているのか? が不思議ですよね
一体 高山彦九郎とはどんな人物だったのか??
三島由紀夫は非常に彼に関心を持っていたんですよ。 そんな事知りませんでしたね、。
1747年、彦九郎は代々名主を務める豪農の次男に生まれました。
13歳のときに読んだ『太平記』で、自分の先祖が新田義貞の家臣であることを知るのです。
新田義貞と言う方は最期まで天皇への忠義を貫いた忠臣でした、
このことが元になり、彦九郎は尊王思想に固まって行くのです。
27歳から47歳で自害するまでの20年間は、尊王思想を広めるために
北は青森から南は鹿児島まであちらこちらへ旅をしています。
各地の名だたる著名人と交流をもち、当時は少数派だった尊王思想を危険を顧みず
人々へ伝える姿勢から、のちに林子平・蒲生君平と並んで
「寛政の三奇人」に数えらるようになったのです。
「奇人」とは辞書を引くと「言動や行動がふつうとは異なる人」と説明されますが、
「世相に左右されない強い信念をもった人」ともいえるでしょう。
しかし、「なるほど奇人だ」と納得してしまうような逸話があるのです。
それが 彼が京に上った時に
人目もはばからず三条橋の上で御所に向かってひざまずき、
号泣しながら拝んだのです、
京都三条駅前にその時の様子を表した彦九郎の銅像があるのです。
京の玄関口である三条大橋に着くと彦九郞は通りすがりの人に皇居のある方向を聞き、
その方向に向かって地面にひれ伏すと、突然、号泣し、
「我は草莽(そうもう)の臣、高山彦九郎でございます」と何度も叫んだのでした。
この時の彦九郎の異様な様子に、彦九郎の周りには野次馬で人だかりになったそうですが、
今、三条大橋の東詰にある土下座をしているような彦九郎の銅像は、
この時の彦九郎の姿を再現したものなのです
銅像を見る限りでは、とても18歳の青年には見えない風貌をしていますが、
当時の様子を想像してみると、無念で泣き叫ぶ彦九郎の姿が浮かんできます。
彦九郎は荒れ果てた御所の姿を目の当たりにし、涙して、
天皇の復権のために人生を捧げることを誓ったと言います。
その後、彦九郎は全国を渡り歩きながら尊王論を説いたのです。
これで 土下座している意味が分かりましたね。
また京都でのもうひとつの有名な逸話は、
足利尊氏の墓を泣きながら何度も何度も鞭打ったことなのです。
高山家の主人であり、天皇に忠義を尽くした新田義貞に反旗を翻した尊氏を、
どうしても許せなかったようです。
言いかえれば、それだけ尊王思想に一途で純粋だったともいえます。
しかし 尊氏と言えば詳しくは覚えてはいませんが1300年代の人ですね
自分が産まれる400年ほど前の出来事を 天皇や自分の先祖に対しての行動を
怒って 足利尊氏の墓に行き それを鞭で打つと言うのですから
物凄い尊王の思想の持ち主だったのですね。
こういう事があり 後年 三島由紀夫が彼に興味を持つことになるのです。
彼の行動思想が
この後幕末維新の志士たちに影響を与えて
尊王攘夷の活動となり 幕府を倒す勢力になってい行くのです。
このように見てみると 彼が新田義貞の子孫でなければ 尊王思想にはならず
彼の激しい行動が無ければ 幕末維新の志士の原動力になっていなかったもしれないのです
高山彦九郎は 群馬県出身ですが 最後は 幕府に追われて
福岡県の久留米市で亡くなるのですが
一度近いので その終焉の地に行ってみたいと思います。
これで 三奇人は出そろいましたが
その中の一人 林子平の 三国通覧図説が無かったら の話に
戻らなければなりません
その 話とは、、、
それは 明日に続く、、。