EXECUTIVE BLOG
2024.7.22
高光産業株式会社 妹尾八郎です
昨日からの続きです。
昨日までは 神社の話から
八幡神社の総本山 大分県にある 宇佐神宮の話でした。
その昔
朝廷が南九州の反勢力の 隼人に対して 陣を張った事に由来して
そこから 御神体を担いで 戦いに臨んだことから
神輿を担ぐ と 言う 神事が生まれたと言う事です
普段 夏祭りとかで 神輿を担いでいる姿を見かけますが
何の疑問を持たずに 神輿は担ぐものだと思っていました。
お祭り中にお神輿をみんなで担ぐ意味には諸説ありますが、
よく言われているのは
「神社の中から神様が出てきて、大きな力で穢れや災いを清めてくれるから」で、
掛け声を上げながらお神輿を激しく上下させるのは、
神様の力を高めるとともに、土地の豊作や大漁を願うためだと言う事です。
この事一つにも 意味があるのだと言う事が分かります。
何にでも興味を持つことで 色々な事が分かりますね、、、。
さて 昨日の続きです。
実は、奈良の大仏と宇佐神宮には深い歴史的なつながりがあるのをご存知でしょうか?
この東大寺の大仏が作られたのは聖武天皇の発願がきっかけですね、
しかし 何分大きな仏像であったため、かかる費用も莫大でした。
聖武天皇はその多すぎる費用をめぐり、
貴族から大仏建造が反対するのではないかと心配していました。
すると、聖武天皇へ宇佐八幡宮の八幡神から
「自分が協力して何がなんでも東大寺の奈良大仏を作り上げてみせましょう!」
というお告げがあったと言うのです
そこで天皇はこの「八幡神」を奈良の都に移動させる事にしたのです。
そして八幡神を移動させる際に、天皇が乗る乗り物として作られたのが「鳳輦」
(ほうれん)という屋根に金色の鳳凰が輝く立派な乗り物です。
この鳳輦がお神輿の原型になった…という説もあるそうです。
知れば知るほど 奥が深いですよね、、、
ところで 聖武天皇は 何故 奈良に コストがかかる 大仏を作ろうと思ったのでしょうか?
そして その協力者が 地元と言っても良い 天皇家と関係が深い伊勢神宮ではなく
遠い 宇佐神宮が 協力したのか??
とか 次から次に興味が湧いてきますよね
これらの話は
又 明日に
続く、、、、。
予定。